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  • 2008/09/15

    日記

    このところ、田舎に帰省するのはほぼ一年に一回、夏のお盆の前後にお墓参りにいくくらいであり、なかなかいけなかった。高校卒業後、関東地方で生活の居を構え、暮らしてい...

  • 2008/09/15

    音楽

    2005年11月、ひとりのアーティストが、急性骨髄性白血病で38歳で他界した。本田美奈子.である。彼女のデビューは1985年、私が当時勤務していたT社の研究所の...

  • 2008/09/15

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    二月一日の夜、八時三十分過ぎのことであった。私は、勤務先から帰宅の途上で、横浜線の電車の中にいた。突然電車が止まった。車掌のアナウンスでは関東地方に地震とのこと...

  • 2008/09/15

    体験

    (昭和59年の大雪、新潟県妙高市にて)二月三日、関東地方には久しぶりに積雪があった。こちらで白い雪景色を見るのはめずらしくはないが、雪を見ると思い出すのが、田舎...

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    体験

    私が6歳から12歳まで通った小学校がことし(2004年)の3月で閉鎖されることになったそうです。先日、閉校記念碑を建立するための寄付金のお願い文書が自宅に届きま...

帰 省

  • 投稿 2008/09/15
  • 日記
帰 省

このところ、田舎に帰省するのはほぼ一年に一回、夏のお盆の前後にお墓参りにいくくらいであり、なかなかいけなかった。高校卒業後、関東地方で生活の居を構え、暮らしていると、なかなか動けないものである。(いままで、仕事が多忙だったからでもある。と言い訳していた。)

 

ところで、帰省した折に必ず立ち寄るのが親戚の家だが、そこでは地域のいろんな話が話題として上がる。その中でも、集落の人口減、老人所帯の増加にどうしても話がいってしまう。

 

私の出身の集落では、私が小学校の時代には四十数戸あった所帯も、いまでは十七戸と聞く。集落の半数以上が減少している。また、四十歳代以下の若者のいる所帯はわずか四戸だとのこと。十七戸と少ない集落ではあるが、それにしてもここまで少ないとは。農山村の過疎化の現実がここにある。自省も込めてだが、かくいう我が家も減少した内に数えられるのだ。いま、宅地、墓地は別としても、農地が荒廃している。誰も手を出せない。まして、地すべり地帯の農地(田畑)であるので、境界すらわかりにくくなっている。いつかきちんと整理しなければいけない、そう思いながらなかなか手をつけられないでいる。地域活性化とよく言われるが、いったいどうしたらいいのか、具体的な計画と行動がよく見えないのだ。

 

 

ときたま、国会図書館に行く機会がある。時間のあるときに、「郷土誌」を借り出して眺めている。そこには、私が知らなかったふるさとの自然・地理・地勢・歴史が記されている。資料編には、私の祖父や曽祖父の名前も載っているのだ。

 

しかし、三十数年前と違い、交通機関も発達し、時間的にも距離的にも近くなってきたように感じる。

いま、北陸新幹線の工事中と聞く。これが完成すれば、東京から二時間あまりで上越に行ける。なので、もっともっと距離は縮まり、できることも増えてくるのではないかと、ひそかに期待している。

 

(2008-2-24)

 

あるアーティストの生涯

  • 投稿 2008/09/15
  • 音楽
あるアーティストの生涯

2005年11月、ひとりのアーティストが、急性骨髄性白血病で38歳で他界した。本田美奈子.である。

 

彼女のデビューは1985年、私が当時勤務していたT社の研究所の、たしか夏祭りのイベントであったとおもうが、デビューしたての彼女がステージで歌っていたのをおぼろげながら覚えている。

 

直接、本人を見たのはこのときが最初で最後であった。およそアップテンポの曲で、当時はあまり興味がなく、そのままになっていたのである。

 

それから二十年後、私は再び彼女の名を耳にした。アメイジング・グレイスという歌(讃美歌)を聴いたのである。すばらしい歌声であった。

 

それをきっかけに、再び彼女の歌を聴くようになった。

 

調べてみると、アイドル時代、グループを組んでいた時代、ミュージカルへの挑戦の時代、クラシック音楽との出会いなど、その時代ごとに、特徴のある歌を発表していることがわかってきた。

 

 

いま、彼女の歌はCDやインターネットのユーチューブなどで聴くことができるが、すばらしいアーティストの歌声である。

 

(2008-2-24)

 

 

 

忙しさの中で

  • 投稿 2008/09/15
  • 日記
忙しさの中で

二月一日の夜、八時三十分過ぎのことであった。私は、勤務先から帰宅の途上で、横浜線の電車の中にいた。

 

突然電車が止まった。車掌のアナウンスでは関東地方に地震とのこと。しかし地震自体は、そんなに大きくなく、私は、電車の中にいたもののほとんど感じなかった。実際、携帯電話のインターネットで調べてみたが、震度3程度との情報で、このくらいならすぐに電車は動く(復旧する)だろうと考えていた。だが、実際に電車が動き始めたのは、それから3時間半もたった後だった。

 

普段の通勤時間(ドア・トゥー・ドア)は1時間ちょっとであるが、その日の帰りは実に4時間半もかかってしまった。数年前に、やはり帰宅途上で大雪のため電車が止まり、私鉄を乗り継ぎ、徒歩で帰宅したときは、6時間かかったが、それに次いで二番目に長い通勤時間であった。

 

こんなに時間がかかるとは.....、こんなアクシデントがあるときつい。

 

仕事の関係で、毎日帰宅する時間がどうしても遅くなってしまう。そのしわよせは睡眠時間に行く。

 

なぜか。なぜそんなに仕事が忙しいのか。答えは、簡単ではない。

 

いまの自分の年齢を考えるとそれなりの仕事をこなしていかないといけない。部下をみてあげないといけない。常時、企業全体、世の中、社会全体の動向を見て、動かないといけない。米国、欧州と時差があるため、電話会議なども早朝か夕方遅くになる。など、いろいろあるが、やはり突き詰めていくと責任感からだろうか。それともあせりからだろうか。

 

 

数年前、妻からいわれたことがある。「せめて、夜十時には帰れるようにしたら?」

このことばは、いまでも私の宝物である。だが、なかなか守られてはいない。

 

考えてみると、私の場合、四十歳を過ぎたあたりから忙しさが増してきて、だんだん帰宅時間が遅くなってきた。いまでは、平日は帰宅する時間が遅い。

仕事内容の変化もある。一介の技術者からある程度のマネジメントを任されるようになっていく。一応それなりの専門分野はあるつもりだが、こう忙しくなってくると何が専門なのかわからない、それほどいろいろなことをこなしている。

 

そんな中、通勤途上のちょっとした時間は大事である。大事に使いたいとおもっている。

 

会社への往き、復り、電車に乗るが、そこでは携帯用音楽プレイヤー(iPodなどが有名だが、私の持っているのは四千円程度の安物。でも十分楽しめる。)で音楽を聴くことにしている。(もちろん人様に迷惑がかからないようにしてだが。)

 

お気に入りのアーティストは、森山良子、加藤登紀子、倍賞千恵子、久保田早紀、山口百恵など。最近では、倉木麻衣、本田美奈子の歌も良い。また、鄧麗君(テレサ・テン)の中国語の歌も聴き応えがあって良い。

 

ひとときをほっとさせてくれる歌、落ち込んでいるときなどに元気付けてくれる歌などがお気に入りである。

 

元気付けてくれる歌といえば、岡村孝子の「夢をあきらめないで」(この歌は甲子園の入場ソングにもなったとか)、ZARDの「負けないで」などであろうか。

 

なかでも思い出すのは、岡本真夜の「Tomorrow」である。何年か前、仕事の関係で、ほぼ一~二週に一回くらいの割合で北海道旭川へ出張していた時期があった。半年間くらいであろうか。日帰りで羽田~旭川間を飛行機で往復するのであった。機内では、イヤホーンを耳にして番組を聴いていたが、その中にJPOPの歌番組があった。ある二ヶ月くらいはその番組の必ず最後に流れる曲が、Tomorrow」であった。そんなわけで、この曲は印象に残っている。仕事で疲れて落ち込んでいるときに元気付けてくれた歌でもあった。

 

忙しさの中でも安らげる時間を持つことは重要とつくづく感じているこの頃である。

 

(2006-3-4)

 

雪にまつわる想い出

  • 投稿 2008/09/15
  • 体験
雪にまつわる想い出

(昭和59年の大雪、新潟県妙高市にて)

 

二月三日、関東地方には久しぶりに積雪があった。こちらで白い雪景色を見るのはめずらしくはないが、雪を見ると思い出すのが、田舎にすんでいた幼少期から小学生くらいの頃に経験した大雪である。

 

雪は一晩で七十から百二十センチメートルは積もった。朝起きてみると玄関先が既に雪でふさがれていたことをよく覚えている。当時は、家の前の道路も舗装されていなくて、集落から集落の間は人が通れるように、朝早くからかんじきを履いて道付けを交替で行なっていたものだ。そうしないと、道が確保できないし、小学校へも通えなくなってしまう。

 

何年か経ち、やがて道路が舗装され雪が積もってもブルドーザーで雪かきをしてもらえるようになった。ところが、ブルドーザーの通った後は、キャタビラの跡がすべりやすく、何度も転倒しそうになったものである。そればかりか、雪の壁が家の玄関前にできるので、雪かきをし、背丈以上もある高い雪の壁をくり抜き、通路を確保する必要があった。

 

そういえば屋根の雪降ろしも一冬に六回は行なったものだ。屋根の上には百五十センチメートルくらいの高さで雪が積もっている。それをスコ(スコップ、シャベル)で下に落とす(放り投げる)のである。屋根の雪の上層部はやわらかで軽いが、下はザラメ雪(シャーベット状)でとても重い。それをすくって投げ飛ばすのだから、一日もすれば重労働であった。さらに家の周りに落とした雪は、窓を塞ぎ、家の中を暗くしてしまう。

 

また、不均一に雪に囲まれていると、家そのものがゆがみ、倒壊する危険もあった。なので、落とした雪を平らに均して家の明かりを採り、家の外回りをしっかりと踏み固めるという作業を必要とした。

 

雪を見ると昔を想いだす。寒さはどこも同じ。手がかじかむ感覚は、スキーを担いで登下校した小中学校の頃にいやというほど味わっている。なので、いま関東地方に住んでいて、多少の雪が降っても、寒くても、当時の辛さを思い出せばなんのことはない。

雪にまつわる想い出のひとつである。

 

(2008-2-24)

 

小学校のこと

  • 投稿 2008/09/15
  • 体験
小学校のこと

私が6歳から12歳まで通った小学校がことし(2004年)の3月で閉鎖されることになったそうです。先日、閉校記念碑を建立するための寄付金のお願い文書が自宅に届きました。

 

十数年前から複式学級になっていることは知っていましたが、時代の移り変わりを感じます。

 

いまの児童数は17名で、廃校後は一番近い小学校に通学することになるそうです。私が子供の頃、自宅から小学校まで子供の足でおよそ30分くらいかかって通学していました。今度はもっとかかるとおもうのですが、いまの時代てすからおそらくバスなどで通学するようになるのだとおもいます。

 

小学校には思い出がたくさんあります。最近ではめったにできない学校行事として、たけのこ狩り、スキー遠足、スキー大会がありました。

 

 

たけのこ狩りは5月ごろ、山の中へ調理用具一式とご飯、必要なたまごやジャガイモなどを持ち込み、まず午前中はたけのこを取りに山の中にはいっていきます。児童と引率の先生や父兄の人数に十分な量のたけのこ(山竹ですので細く小柄)が採れたら、その皮むきをし、味噌汁をつくります。その場で昼食にたけのこ汁をいただき、かたづけて帰ってくるといった具合です。

 

大きななべをもっていく子、まな板を持っていく子、飯盒を持っていく子、など、分担して一日を過ごしました。

 

スキー大会は、小学校のすぐ裏山で、行います。運動会のようなものです。

 

スキー遠足は、先生がひとクラス(約45人)の児童を引率して、山から山へみんなで移動します。全員がスキーを履いて、先生に着いていくわけです。およそ10キロメートルくらいを一日でまわります。また、そのときにプロの猟師をふたりくらい雇って、うさぎ狩りをします。

 

うさぎの足跡は非常に特徴的で雪の上にくっきりとついていますので、どのあたりにウサギがひそんでいるかすぐわかります。猟師が仕掛けたわなをチェックしたり、姿を見つけると鉄砲で打ってつかまえます。つかまえたうさぎを、小学校に持ち帰り、調理しウサギ汁にしてみんなで食べたこともありました。当時は食肉が不足していましたので、こういったものは貴重なカロリー源として、山の人たちに重用されていたのでしょう。

 

もちろん、現在では、食肉はいろんな流通ルートではいってきますから、当時のウサギ狩りのようなことはおそらく小学校でも行ってはいないとおもいます。

 

私が小学校のころに体験したなつかしい貴重な思い出です。

 

(2004-2-21)