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カテゴリー:散策・旅行
童謡詩人・野口雨情の詩碑

「赤い靴」「雨降りお月さん」「青い目の人形」「しゃぼん玉」などのうたは、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。これらの作品をつくった野口雨情(1892-1945)は、北原白秋、西条八十と並んで日本の三大童謡詩人のひとりです。素朴なひとつひとつの作品がすごく個性的で、見る人たちを童心に思いめぐらせてくれます。

 

公園の入り口にある野口雨情の説明文

 

童謡「赤い靴」の詩碑

 

野口雨情の故郷、北茨城市、に、これらの作品を刻んた詩碑があります。常磐自動車道下り線の中郷サービスエリア内にある公園に、地元にゆかりのある人たちの手によって造られました。

 

「青い目の人形」

 

「蜀黍(もろこし)畑」

 

「あの町この町」

 

そこには、大小6つの詩碑があり、ベルが設置されていました。

 

「雨降りお月さん」

 

 

また、いまのこの時期、紅葉がとてもきれいで、おもわず足を止めてしまいます。

童謡「赤い靴」をベルで演奏することもできました。

 

 

今回は、バス旅行の道中でちょっと立ち寄っただけなのですが、時間ができたら、もう一度訪れてみたい、そんなところでした。

 

(2019-11-17)

 

 

 

新幹線「あさま」の車窓から見た浅間山

先日、たまたま長野へ所用で出張した折りに、新幹線の車窓から浅間山をみた。

 

その日は、天候に恵まれていたせいなのか、空が澄んでおり、手元の携帯電話機のカメラでもすばらしいほどにきれいな写真が撮れた。

 

 

この写真の撮れるスポットは列車に乗っていると、そんなに多くない。

 

在来線(しなの鉄道線)だと、軽井沢から中軽井沢、信濃追分のちょっと手前くらい、
新幹線だと軽井沢から長野方面に動き出して数分後の、ごく短い時間帯なのである。

新幹線の「あさま」という名称は、この浅間山(あさまやま)に由来している。

 

ごぞんじのように、浅間山は活火山であり、活動中である。

 

先日の御嶽山の噴火のように、ここでも、噴火が懸念されているようだ。

 

長野新幹線が開通する以前の話だが、その当時は、まだ、上野始発の特急「あさま」が長野・直江津まで運行されていた。

 

軽井沢と、横川の駅の間は、日本でも有数の急勾配があり、この区間を運行するすべての列車は、電気機関車を2台、さらに連結させて運転していた。

 

電気機関車を連結したり、とりはずしたりするわずか10分程度の間に、横川駅で、「峠の釜めし」を買い求めたことをよく記憶している。

 

いまでは、この軽井沢と横川の間は廃線となってしまった。わずか20分ほどで新幹線は通り抜ける。

 

横川を過ぎたら、長いトンネルをいくつかとおり、あけると軽井沢の駅、そして浅間山が見えてくる、といった旅の趣きは、新幹線の開通で、また違ったものになった。

 

(2014-10-04)

 

 

 

「北しなの線」と「えちごトキめき鉄道線」

北陸新幹線の長野以北の開業まであと半年にせまった。

 

長野の先は、「飯山」、そして、「上越妙高」に停車することになっている。上越妙高駅は、JR信越本線の高田と新井の中間の脇野田駅の位置になる。

 

いままで帰省する際は、東京から長野までを新幹線で、その先を在来線(JR信越本線)に乗り継いでいくというケースが、筆者の場合には多かった。

 

北陸新幹線ができれば、最寄りの駅「上越妙高」まで新幹線利用ということになるだろう。

 

この夏に、帰省した折に、列車で新井から高田へ移動するときに見たが、北陸新幹線も開業に向けて準備されていた。

 

 

 

新幹線はほぼ上越妙高駅が完成しており、周辺では、工事や整備の作業をしていた。

 

ただ、来年開通だというのに、脇野田駅周辺には大きな建物としては、まだマンションが二棟できているだけだとか。

 

地域の活性化と発展につながればよいのだが、上越妙高駅が単なる通過駅にならないようにしていきたいものである。

 

その後、在来線はどうなるんだろうと、おもっていたが、やはり第三セクターに移管され、継続営業されるようだ。

 

先日、出張の途中、長野駅に下車し、確認してみたが、長野から妙高高原までは、しなの鉄道の「北しなの線」に、そして、妙高高原から直江津までは、「えちごトキめき鉄道線」にと名称がかわるらしい。

 

定期券の発売も、これらの「北しなの線」や「えちごトキめき鉄道線」にかかる区間での発売を段階的に中止しているそうだ。

 

きっと、いまよりも運賃は上がるんだろうな、とおもいながら、その掲示を見ていた。

 

 

 

しかし、長野から直江津に向かう列車の車窓は、トンネルが少なく、渓谷沿いを走るすばらしい眺め、そして、黒姫山や妙高山をはじめとする高原の遠景、田園風景の中、さらには、日本でもめずらしいスイッチバックのある二本木駅など、すばらしい眺めがいっぱいなので、時間のとれるときには、ゆっくり、「北しなの線」と「えちごトキめき鉄道線」の旅を楽しみたいものである。

 

 

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苗名滝、不動滝、妙高山などの名勝に恵まれた妙高高原は、季節を問わず大自然が楽しめる場所。多彩な温泉が点在しており、赤倉温泉の足湯や、白濁湯あふれる露天風呂「黄金の湯」をはじめさまざまな温泉施設がある。

 

苗名滝、不動滝、妙高山などの名勝に恵まれた妙高高原は、季節を問わず大自然が楽しめる場所。

多彩な温泉が点在しており、赤倉温泉の足湯や、白濁湯あふれる露天風呂「黄金の湯」をはじめさまざまな温泉施設がある。

 

(2014-09-23)

 

 

 

北海道旅行3日め、函館へ

小樽から札幌を経由し、函館に到着。向かったのは、湯の川温泉のホテル、「啄木亭」である。

 

夜七時ごろに函館に到着し、路面電車に乗り、湯の川温泉までいき、そこから徒歩数分の距離だった。

 

三月中旬のこと、天候はくもりだったが、比較的問題なく到着した。

 

この場所は、函館空港の滑走路が良く見える位置にある。

 

庭園は落ち着いた雰囲気で、迎え入れてくれた。

 

 

「啄木亭」庭園

 

次の日、天候は晴れ、ときどき猛吹雪という、とても変わりやすい天候だった。

 

晴れたかと思えば、次の瞬間、突然横風が吹き、視界が20メートル以下になり、まっしろで何も見えなくなる、といった天候だった。

 

JR函館駅

 

まず、路面電車で、函館の赤レンガ倉庫のとなりにある、北島三郎記念館をめざす。

 

路面電車に乗車したときは晴れ、しかし、下車したときは猛吹雪、この間わずか20分程度のことである。

 

ようやく、北島三郎記念館の入り口を見つけて入館した。

 

北島三郎といえば、有名な歌手であり、アーティストであり、優れたクリエーター、プロデューサーでもある。

 

こどものころに、覚えた「さぶちゃん」の歌を知らないものはいないだろう。

 

この記念館には、彼の生い立ちから、最近の作品まで、そのすべてが展示されている。

そこに行ってみなければわからないことも、けっこうあった。

 

感心したのは、説明員の方がとても良く対応して下さったこと。

 

これは、北島三郎ご本人が苦労されたこと、その後の大成功をおさめられたこと、そして、後進の教育指導に心を砕かれたことなど、全部つながっていて、その成果のひとつなのだとおもった。

 


人の世はいつの時代も...北島三郎記念館に掲示されていた

 

北島三郎記念館(左側の建物)と函館山(後方に山頂が見える)

 

北島記念館を出るころには、雪も止んで、晴れてきた。

 

赤レンガ倉庫周辺を函館駅に向かって歩き出した。

 

倉庫のあたりは、いま、ほとんど、土産物店や食堂などになっているようだ。

 

赤レンガ倉庫

 

駅手前の函館朝市にて、簡単な昼食をいただいた。といっても、海産物は新鮮だし、とてもうまい。

 

平日のためか、けっこうすいており、ゆっくりと食事ができた。

 

少し時間があったので、五稜郭まで足を伸ばすこととした。

 

五稜郭は、路面電車、函館市電で15分、そこから徒歩10分くらいのところで、
五稜郭公園となっている。

 

その公園のすぐそばには、五稜郭タワーと呼ばれる建物があり、公園全体を展望できるようになっている。

 

五稜郭タワー

 

五稜郭公園の中は、函館の関所跡があり、その周囲が散策路になっていた。

 

到着したときは、晴れ。散策路に足を踏み入れて歩き始めて行くと、突然、猛吹雪に、そして、すぐに晴れ、と、天候は不安定だった。

 

函館奉行所

 

ちょうど、三月の中頃のこと、このような変わりやすい天候は、函館の特徴なのだろうか。

 

写真も久しぶりに、たくさん撮影した。

 

今度、このような旅行ができるのは、いつだろうか。

 

家族で、そろって旅行にいけるのは、いつになるのだろうか。

 

そんなことを考えながら、函館発、新青森行きの特急列車に乗ったのであった。

 

JR函館駅構内の横断幕

 

新青森行きの特急「スーパー白鳥」

 

(2013-07-28)

 

 

 

北海道旅行2日め、札幌から小樽、そして函館へ

札幌は、北海道随一の都市であり、駅を降りて、大通りに向かう道は、とても混雑していた。

 

ことしの三月中旬のことである。

 

ちょうど、雪が解けて、道路から歩道へと、融雪のみずたまりができており、除雪も中途半端な感じとなっていて、歩道も歩きにくい部分が多かった。

 

そんな中を、大通り公園をめざした。というのも、この近くに、泊まる宿があるからである。

 

時計台、テレビ塔、北海道新聞社を横目にみながら、歩いていった。

 

札幌の時計台

 

北海道新聞社の建物に掲げられた選抜高校野球の応援メッセージ

 

宿を見つけて、チェックインした後、夕食を外で食べようと、市内を徒歩で歩き回った。
いい加減、歩き疲れたころ、ちょうど蟹めしのお店があり、そこに入った。

 

味は抜群だった。価格はリーズナブル。

 

その店のご主人は、若かったが、聞けば、父親が小樽で水産のお店を出しているという。
それも、次の日に行く予定の小樽運河のそばだという。

 

これもも、ひとつの縁なのか。

 

夜の札幌、ネオンがすごい

 

次の日、札幌から小樽へむかった。天候は雪。

 

小樽では、少し手前の駅で下車し、石原裕次郎記念館をまず見学した。さすがに、裕次郎のファンにはたまらないところなのだろう。ただ、平日のためか、また、天候のためか、お客さんは少なかった。

 

そして、徒歩でバス停まで、そこからバスに乗り、小樽運河へ。

 

小樽運河では、特定のスポットで、みんなが写真撮影をしていた。外国の観光客も多いらしく、中国語を話す人たちの集団がそこにいた。

 

小樽運河は、赤レンガの倉庫群があるが、あまり観光客には公開されていないらしい。
いまだに、業務で使用されている。

 

小樽運河、このスポットは有名らしい

 

雪のなか、足元の良くない道を歩いて、小樽駅方面へと向かった。

 

途中、ガラス細工のお店に立ち寄り、工芸品を見せていただいた。

 

小樽には、観光スポットが多いらしい。

 

街中に、観光施設を紹介する看板が立っている。

 

 


5か国語で書かれた史跡の説明文

 

それらは、日本語はもちろん、英語、韓国(朝鮮)語、中国語、そしてロシア語で説明されているのであった。

 

英語、韓国語、中国語までは、こちらでも見かけるが、ロシア語というのは、滅多にない。

 

しかし、北の玄関である小樽では、ロシア人も多く観光客としてきているのだろうと、おもった。

 

天候が良くなくて、早々に切り上げ、次の目的地である函館に向かったのだった。

 

(2013-07-28)