月別:2008年09月
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    散策・旅行

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八雲が丘

先日、八雲の地を徒歩で回ってみた。近くの大学での講演会のはじまる3時間ほど前なので、あまり時間をかけることはできなかったが。

 

東京の渋谷から横浜に抜ける東横線の沿線に都立大学という駅がある。そこで下車し、徒歩で北側の丘をめざす。かつては、この丘に東京都立大学(都立大、すでに八王子へ移転し、都立大としては廃校)の校舎があった。学友歌にある八雲が丘のその地は、今は、都民のための団地・アパートと公園に変わってしまっていた。

 

この地を訪れるのは、本当に久しぶりだった。私は、30年ほど前はこの都立大の夜間受講生であった。昼間、働きながら、夜に学ぶという、あのスタイルである。

 

都立大学駅を降りて、丘をのぼっていくと、校門が見える。そのすぐ手前に、小さなラーメン屋があった。当時の学生の間では、xxxx亭として有名だった。私も何度か入った。とても美味しかったことを覚えている。しかし、このラーメン屋も、もう既になくなっていた。

 

校門の脇には大きな立て看板がいつも並んでいたようにおもう。授業は、1、2年のうちはあまり他の大学と変わらないとおもうが、3年以上の専門に進むと、受講生の数が減っていく。わずか3名の学生に1人の教授から授業をしていただいたこともあった。とても感謝している。

 

八雲が丘から、さらに徒歩で10分ほど西に向かうと、かつては都立大の理学部・工学部が入っていた深沢校舎があった。そこへも授業を受けに行ったことが記憶に残っている。しかし、その深沢校舎も、いまはなくなり、跡地には巨大なマンションが林立していた。

 

都立大は、石原都知事により首都大学東京の一部として改編された。そのカリキュラムにも、総合大学でありながら経済学部に相当する分野がないなど、新しい試み(?)をしたものとなっている。もっとも、それ以前に都立大自体が八雲校舎、深沢校舎ともに八王子へ移転してしまったので、いま、八雲・深沢に行ったとしても、昔の風景は道路脇の樹木にわずかながら跡が残る程度であろう。

 

東横線の都立大学駅から、八雲、深沢へと歩き、そこから自由が丘へ歩いて行く道のりは、かつての夜間受講生だった頃のおぼろげな記憶を少しでも呼び戻してくれたような気がする。

 

(2008-9-28)

 

 

最近の同窓会報によると、来年度から首都大学東京にも、経済学のコースが新設されるそうです。

 

(2008-12-4 追記)

 

 

ぶな林と「ふるさと」

先日の読売新聞(2008年9月13日)に、トレッキングルート「信越トレイル」が開通したという記事がでていた。

 

新潟県と長野県の県境にある関田山脈の稜線を、斑尾山から牧峠を経て天水山に抜ける全長80kmのコースだそうである。標高1000メートル前後の稜線づたいに、いくつもの峠を通過する。掲載された写真には、ぶな林の中を山歩きする人々の楽しそうな姿が紹介されていた。

 

ぶな林には、想い出がある。ちょうどこのコースの途中に、関田峠がある。その新潟県側では、冬にたいへんたくさんの雪が積もる。6メートルにも達することがあると聞いたことがある。

 

私がこどものころ、小学校の遠足でこの関田峠の近くのぶな林に行ったことがある。水源地が、林の中にあり、冷たい水が湧き出ている。指を入れるととても冷たい、こごえそうな感触をはっきりと覚えている。

 

そんなふるさとのぶな林を想いだしてしまった。

 

いま、関田峠を少し下ったところは、牧場として開拓され、光が原高原として知られている。「浅間山荘」事件を扱った映画のロケ地でもある。そこからは、日本海が、また天候にもよるが佐渡が見える。眺めは最高である。冬は雪のため、閉鎖されてしまうが、夏は多くの人々が訪れる。

 

ぶな林の中に、キャンプ場やロッジがあり、自然の豊かさを実感できるのだ。私もなかなかいけないが、ぜひ一度、見て足を運んでほしい場所である。

 

関田峠の付近より、光が原高原、遠く日本海を望む。近くにはぶなの木が見える。(このあたりも冬は雪に閉ざされる。)

 

(2008-9-23)

 

久しぶりの家族旅行

佐渡金山で露頭に鉱脈がでている道遊の割戸(どうゆうのわりと)。
真夏だというのに、金山の内部は10℃以下の寒さであった。

 

 

昨年の夏、久しぶりに家族揃って旅行をした。揃って遠出することは滅多になく、子どもたちが小さい頃を除けば、それまで何年もなかったのたが、たまたま、勤続何年かのイベントで有期の旅行券をいただけたのである。これを使用させてもらって、家族の希望もあり、佐渡島へと出かけた。

 

佐渡は、交通の便を考えないと自由に回れない。良き交替運転者の妻と二人の息子を得て、自家用車で島内を回ることができた。

 

一番喜んだのは我が家の一番下の息子であった。直江津港からカーフェリーに乗るのもはじめてだし、「本土から離れる」のもはじめてで、うれしそうだった。私自身も、新潟県生まれでありながら、佐渡へは一度もいったことがなかったので、よい機会を得たとおもっている。

 

佐渡では、小木港から入り、最初の晩は相川町に宿泊、翌日、佐渡金山の跡見学と、砂金採りの体験をし、さらにトキの保護をしている公園、郷土資料館を見て回った。あの話題にのぼったジェンキンズさんにも資料館で会うことができた。

 

旅館でのひとときもまた楽しいものだ。窓からの景色も海鮮料理も想い出に残るものであった。

 

佐渡の歴史、人情に触れ、喜ぶ家族の顔を見て、この時に来られて良かったと思っている。

 

子どもたちもひとり、ふたりと独立し、それぞれ巣立っていく。今後おそらく、このメンバーが家族旅行で揃うことは滅多にないだろうとおもっているが、願わくばいつかまた揃って旅行をしたいものだ。

 

(2008-2-24)

 

 

佐渡で困ったことのひとつは、携帯電話の一部が通じない地域があったことです。

PHSは、相川町、両津の付近ではつながりましたが、その他ではまったくだめでした。

Docomoとauは、ひとまずOKのようでした。

 

(2008-12-16 追記)

 

時の流れを感じるとき

十年一昔(じゅうねんひとむかし)というが、時の流れを感ずる。

 

というのも、これまで、仕事や趣味で携わってきたコンピュータの移り変わりを思い出してみると、よくわかる。

 

いまは、ウィンドウズXPやビスタが全盛であるが、私がコンピュータに直に触れたのは、1978年頃、当時の米国コモドール社製の8ビットのもので、BASICという言語でプログラムを自作し、機器の制御やデータ収集に使用していた。

 

5インチのフロッピーディスクはよく読み込みエラーを起こし、プログラム自体もたまに暴走するという信頼性に欠けるものであった。

 

その後、日本のN社がPC8001というマイコン(バソコンとも呼んでいたが)を市場に売り出しした。信頼性は格段に向上したが、価格は一式80万円くらいした。もちろん、まだまだとても個人で買えるものではなかった。

 

1980年代前半はまだ8ビットマイコンが残っていたが、16ビットが主流の時代になった。しかし、まだ、BASIC言語でプログラミングしていたが、メーカー各社の仕様が統一されていなくて困ったものである。

 

仕様統一のきっかけとなったのが、MSXの登場であったとおもっている。MSXは1983年ごろ登場し、価格が安く4-6万円くらいで本体が買えて、家庭のテレビに簡単に接続でき、BASIC言語でプログラムを自作できるほかに、ソフトメーカーからもMSX仕様のソフトウェアが売り出されていた。

 

ここにきて、ようやく個人でコンピュータが持てる時代になったのであった。その後、32ビットの時代になり、OSもウィンドウズ3.1、95、98、2000と変化していった。

 

いままで、自宅で個人で購入し、使用したコンピュータを数えてみると、MSX、MSX2、Dynabook、Libretto、ThinkPadとそれぞれに想い出がある。

 

 

ことしの一月にパソコンのOSを入れ替えた。それまでウィンドウズ98を使用していたのだが、ウィンドウズ98用のウイルス対策ソフトがもうサポートされないことになってしまったため、やむなくXPを入れることにした。それでも、もういまはビスタの時代になってしまった。

 

時の流れははやいものである。

 

(2008-9-20)

 

 

(追記)

 

正確にいうと、MS-DOSというオペレーションシステムが先にできていた。これは16ビットのコンピュータ用のものであった。MSXは8ビットのコンピュータであるが、MSX-BASIC というものが先に共通仕様化されてできていた。16ビット用のMS-DOSと同じように8ビット用として作られたのが MSX-DOS であった。フロッピーディスクの形式は2DDが主流であったが、MS-DOS上でもデータの読み書きができる優れたものであった。

 

 

当時、私は、職場では16ビットのコンピュータで、家では8ビットのMSXで、同じフロッピーディスクを持ち運びして仕事を処理していたことを覚えている。

 

(2008-10-18 追記)

 

  • 日記
帰 省

このところ、田舎に帰省するのはほぼ一年に一回、夏のお盆の前後にお墓参りにいくくらいであり、なかなかいけなかった。高校卒業後、関東地方で生活の居を構え、暮らしていると、なかなか動けないものである。(いままで、仕事が多忙だったからでもある。と言い訳していた。)

 

ところで、帰省した折に必ず立ち寄るのが親戚の家だが、そこでは地域のいろんな話が話題として上がる。その中でも、集落の人口減、老人所帯の増加にどうしても話がいってしまう。

 

私の出身の集落では、私が小学校の時代には四十数戸あった所帯も、いまでは十七戸と聞く。集落の半数以上が減少している。また、四十歳代以下の若者のいる所帯はわずか四戸だとのこと。十七戸と少ない集落ではあるが、それにしてもここまで少ないとは。農山村の過疎化の現実がここにある。自省も込めてだが、かくいう我が家も減少した内に数えられるのだ。いま、宅地、墓地は別としても、農地が荒廃している。誰も手を出せない。まして、地すべり地帯の農地(田畑)であるので、境界すらわかりにくくなっている。いつかきちんと整理しなければいけない、そう思いながらなかなか手をつけられないでいる。地域活性化とよく言われるが、いったいどうしたらいいのか、具体的な計画と行動がよく見えないのだ。

 

 

ときたま、国会図書館に行く機会がある。時間のあるときに、「郷土誌」を借り出して眺めている。そこには、私が知らなかったふるさとの自然・地理・地勢・歴史が記されている。資料編には、私の祖父や曽祖父の名前も載っているのだ。

 

しかし、三十数年前と違い、交通機関も発達し、時間的にも距離的にも近くなってきたように感じる。

いま、北陸新幹線の工事中と聞く。これが完成すれば、東京から二時間あまりで上越に行ける。なので、もっともっと距離は縮まり、できることも増えてくるのではないかと、ひそかに期待している。

 

(2008-2-24)

 

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