• 日記
この夏、感じたこと

久しぶりに、帰省した。盆の時期、墓参が目的だった。たまたま、その日は快晴で、すっきりした青空と緑を堪能することができた。電車での帰省なのだが、車窓から見る山々と田園に続く緑はまさに夏の風景そのものであった。

 

(新幹線の車窓からみた浅間山。)

 

しかしである。今年は日照不足だとのこと。いままで、雨や曇りのはっきりしない天候が長く続いたのだとのことであった。そのためか、稲の生育も遅れているようだ。そういわれてみると、たしかに稲穂の芽の出具合も良くない。トマトも成熟しないうちに落下してしまっているのを目にした。例年にない異常気象だといい、農作物の生育にも大きな影響を与えているという。

 

そして、墓参を済ませた後での会話。引退した老夫婦の語る言葉は重い。いま、農山村ではなにが起きているか。それは、住民の高齢化と、若者の減少、それにともなう農地の荒廃、これらを改めて、認識させられた。

 

ひとつは、高齢者の問題がある。私の出身の集落では、所帯数が17戸と少なくなっている。しかも、そのうち、高齢者の単身所帯がいくつかあるという。また、50歳以上だけの所帯も多い。老親とその子供ひとりの所帯も多い。

 

人口の少ない農山村では連れ合いに先立たれた高齢者は、元気なうちはまだいいが、体が不自由になると、介護の問題がでてくる。

 

特別養護老人ホームは、常に満杯とのこと。最近、またひとつが新たに建設されて、オープンしたときいた。しかし、そこも既に満杯で、入所待ちの状態が続いているという。

どこどこのだれそれが、具合悪いとか、入所したとか、いろいろ聞かされる。

 

もうひとつは、産業の空洞化の問題である。もはや、専業農家では成り立たない。若者は職を求めて都会に出て行く。都会とはいわないまでも、山間部から交通の便利な平野部に移り、そこに暮らし始める。農地は、減反政策と若者の減少で手つかず、荒れたままの状態になっている。

 

そこは、見た目、緑が多いのだが、実状は、荒れた田んぼに野性の草木が成長し手がつけられない状態になってしまっている。

 

また、働きたくても、この不況で仕事がない。いままで、働き口を提供していた半導体メーカーが不況で人員削減、契約社員の契約解除を行なうなど。自宅から通勤できる範囲には、仕事がないというのだ。

 

(夏の風景。)

 

これに関連して、交通の問題がある。農山村では、自家用車が必須である。私の出身の集落に関しては、路線バスは、一日4本が通るのみである。それも停留所は、集落の中心から500メートルも離れた場所にある。

 

帰省の折、このバスに乗車して驚いた。40人乗りのサイズのバスだが、ターミナルからのお客はたったひとり(筆者のみ)であった。途中、老婦人がふたりほど乗り降りがあった程度で、私が停留所で降りたら後は運転手さんひとり。片道15キロメートルの路線(うち、山間部が7キロメートル程度ある)をたった数人の顧客で運転しても、とても採算がとれるとは思えない。

 

しかし、自家用車という手段を持たない高齢者などにとっては生命線ともいえるものであり、路線バスの公共性もあって廃止できないとはおもうが、問題は多いとおもう。

 

なかなか、すぐに解決できるような問題ではない。複雑な気持ちを胸に、故郷を後にしたのであった。

 

(バス停。一日4回、路線バスが停車する。)

 

(2009-8-23)