カテゴリー:特集
會津八一の英文書簡

 

會津八一(あいづ やいち、会津八一)は、東洋美術の研究者であり、早稲田大学における芸術学研究の基礎を築いた人物です。自らを秋艸道人(しゅうそうどうじん)、八朔郎(はっさくろう)などと号され、さまざまな作品を世に残したことで知られています。

 

明治14年(1881年)新潟市の生まれで、早稲田大学文学科を明治39年卒業後、有恒学舎(現在の新潟県立有恒高等学校)に英語教師として赴任され、明治43年に坪内逍遙から呼ばれて早稲田中学校に転職するまでの4年間、有恒学舎で増村朴齋先生のもと、教鞭をとっておられました。

 

この間に、数々の作品を残されています。新潟県の地元の新聞「新潟日報」の題字にも會津八一の書が使われています。有恒高等学校に隣接する朴齋記念館には、いまでも多数の書軸や風刺画、資料が展示されています。

 

先日、朴齋記念館を見学する機会をいただいたのですが、そのとき、會津八一の英文書簡が目に留まりました。我々の有恒高校時代の恩師である勝山一義先生が所蔵され、同館に寄贈されたものだそうです。

 

本稿では、この全文を資料として公開したいとおもいます。明治42年(1909年)12月26日の日付で、大阪毎日新聞社の編集局の伊達俊光氏にあてたものです。

 

→   會津八一の英文書簡 (Photos)

 

會津八一は英語の教師でした。当時はまだ英語を理解する一般人は少なかったので、内容を他人に知られないようにと英文で書簡をしたためたのでしょうか。謎です。

 

 

========== ここから ==========

 

 

Harimura, 26 December 42th year of Meiji

 

Dear Toshimitsu:

 

Last night I received a card from you bearing a small caricature on it. You succeeded to make me smile once more, as you had eupeated, but I am going to tell you that I was more interested with the readleations which the picture caused to me than with the bitterness of it. Do you know the person at relation between Fumiko and Hakutei ? Provably not. More than six years ago the former was living at Yanaka and Fumiko was introduced to me, and since then I ealled on them several times.

 

針村にて、明治42年12月26日

 

親愛なる俊光様:

 

昨夜、私はあなたから小さな風刺画が描かれているカードを受け取りました。あなたが偽ったように、あなたはもう一度私を笑顔にすることに成功しました。しかし、私はあなたに、その絵が私にもたらした読書とともに、その苦味とともに、より興味があったことを申し上げようとしています。あなたはフミコとハクテイの間の関係人物を知っていますか?おそらく知らないでしょう。6年以上前に、その人物はヤナカに住んでいて、フミコを私に紹介してくれたのです。それ以来、私は彼らを何回か呼びました。
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One day, when Shiisan was not at home, I was alone with Fumiko a little while in their
study. At that time she was a lovely girl of bushful eighteen and we both were talking about something or other in such a manner as young folks will do when left alone by themselves. Endless was our conversation and suddenly she opened her study window angrily and pointed to a small house standing next to her's."There lives a very unkind man there, sir," she whispered."Who lives here ?""You know a young painter Hakutei don't you, sir ?" she replied,"He lives there and calls us, Shiisan and myself, two devils, whenever he may see our faces.

 

ある日、シーサンが家にいない時、私はひとりきりで、彼らが勉強しているあいだ少しだけフミコといました。その時、彼女は18歳の美しい女の子でした。若者たちが彼らによって置き去りにされたときのように、私たちはなにかに関してまたは他のものに関して語り合っていました。私たちの会話は終わりなく、突然彼女は彼女の勉強の窓を怒って開き、小さな彼女の隣に立っている家を指さしました。「そこには非常に不親切な男が住んでいます。」と彼女はささやきました。「そこには誰が住んでいるの?」「あなたは若い画家のハクテイを知っているでしょう?」と彼女は答えました。「彼はそこに住んでいて、私たち、シーサンと私、二つの悪魔、彼が私たちの顔を見るかもしれないときはいつでも呼び出すのです。
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Sometimes he comes out with his sketch book in hand, but as soon as he notice that our
study windows are opened, he hastens away into his house crying 'Devils are peeping !'" Fumiko told me more of him, and I listened to idle speech smiling meaninglessly as you may suppose. Dear Toshimitsu ! Seven years have passed away like a dream, and the attitude with which Hakutei treat her in all the same. And as ourselves, I am alot to call her a devil rather than an angel and it will be most provably the case with her toward her old love.

 

ときどき彼はスケッチブックを手にして現れます。しかし、私たちの勉強の窓が開かれたことを通知してまもなく、彼は『悪魔が覗き見している!』と泣きながら家の中へ入ってしまいます。」フミコは私に彼のことをもっと話してくれました。私は、あなたが想像するように、アイドルスピーチを意味もなく笑いながら聞きました。親愛なる俊光様、7年が夢のように過ぎ去りました。ハクテイが彼女を取り扱う態度もすべて同じです。そして、我々自身のように、私は彼女を天使ではなくむしろ悪魔と呼びます。彼女が彼女の昔の愛に向かっていく場合がもっとも確からしいでしょう。
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The idea of all his made me smile last night at the first glance of the caricature. I have to tell you that a letter from my cousin came to me also. It was an invitation to go over to Tokyo and stay at her home during this vacation. It is a long time since I saw her last and she tells me in the letter that she also want to see me and to talk of things gone by. But I will not do so. Yesterday it was Christmas and you complaint of the season was bitter enough to make me smile, as bitter as wormwood in the Revelation. Now it is your turn to read this sweet letter, as sweet as honey, and smile with Mr.Kakuda over your editorial tables.

 

彼のすべてのアイデアは昨晩、風刺画の最初の一見で、私に微笑みを与えました。私はあなたに、私のいとこからの手紙もまた私にやって来たと伝えなければなりません。それは、東京に行って彼女の自宅でこの休暇中滞在するように、との招待状でした。私が最後に彼女に会ってから長い時間が経ちました。彼女もまた私に会いたい、そして、過ぎ去ったことを話したい、との手紙で私に告げます。しかし私はそうしないつもりです。昨日はクリスマスでした。季節の苦しみは私を笑顔にさせるほど苦いものでした。黙示録のぼんやりとした苦しみのように。さあ、今度はあなたがこの、蜂蜜と同じくらい、甘い手紙を読み、そしてあなたの編集机のむこうのカクダさんと一緒に笑う番です。
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Snow is falling without ceasing these three days, and it is two feet and a half deep on the ground. Please remember me & Mr.Kakuda. I remain yours very affectionately.
'Hassakuro'.

 

P.S. I will write an essay on the"Heimatkunst" of Echigo this afternoon. I am always stundy Norseman. Many thanks for your kind introduction of Mr.Tokutomi's latest work. I will soon have and read it.

 

この3日間、止むことなく雪が降っています。それは地面から2フィート半の深さです。私とカクダさんを覚えておいてください。私はあなたのご親切を忘れません。
八朔郎。

 

P.S.私は越後の"Heimatkunst"(地域の芸術)のエッセイを午後に書くつもりです。私はいつも奇抜な騎士です。トクトミさんの最近の仕事のご紹介に感謝します。私はすぐにそれを得て読むつもりです。
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大阪毎日新聞社 編輯局内 伊達俊光様

 

(明治42年) 12月26日 越後針村 會津八一

 

========== ここまで ==========

 

 

會津八一(あいづ やいち)  明治14年(1881)〜昭和31年(1956)

 

新潟市古町生まれ。明治39年早稲田大学文学科卒業後、新潟県上越市(旧板倉の有恒学舎=現県立有恒高校)の英語教師に。43年有恒学舎を辞し早稲田中学校に転職。大正7年早稲田中学校教頭に就任。大正15年から昭和25年ころまで頻繁に奈良へ旅行する。大正13年歌集「南京新唱」刊行。大正15年から早稲田大学で東洋美術史の講座を担当。昭和6年に早稲田大学文学部教授に。昭和8年「法隆寺法起寺法輪寺建立年代の研究」を執筆し、翌9年文学博士に。同15年歌集「鹿鳴集」、17年随筆「渾斎随筆」、19年歌集「山光集」を刊行。秋艸道人(しゅうそうどうじん)、渾斎(こんさい)、八朔郎(はっさくろう)などと号した。昭和20年空襲により被災し新潟に帰郷。同22年歌集「寒燈集」、書画図録「遊神帖」を刊行。同26年新潟市名誉市民第一号に。同年「會津八一全歌集」を刊行、読売文学賞受賞。同28年宮中歌会始の召人として隣席。同31年死去、享年75。

 

(2018-6-18)

 

 

 

  • 特集
「第四の節目、アメリカの預言」歴史は繰り返す

いま、「第四の節目、アメリカの預言」(The Fourth Turning, An American Prophecy) に注目している。このような考えかたもあるのかと、感心し、またちょっと畏怖の念も感じている。

 

この本は1997年にアマチュアの歴史研究者であるストラウス(William Strauss)とハウ(Neil Howe)によって書かれたものであり、それによれば、世の中は80年から85年の周期で巡り、その周期の中でも、およそ20年ごとに節目があるという。このおよそ80年の周期はサイキュラム(Saeculum)と呼ばれる。

 

また、このおよそ20年ごとの節目は、その年代によって、4つに分けられる。

 

第一の節目が「高揚」(High)とよばれ、近年では1946年から1964年に相当する。
第二の節目が「覚醒」(Awakening)とよばれ、近年では1964年から1984年に相当する。
第三の節目は「分解」(Unraveling)とよばれ、近年では1984年から2004年に相当する。
そして、第四の節目は「危機」(Crisis)とよばれ、近年では2005年から2025年に相当するという。まさに、いま現代は、この第四の節目を迎えているというのだ。

 

これらは、

 

「高揚」→「覚醒」→「分解」→「危機」→「高揚」→「覚醒」→「分解」→「危機」→


というように繰り返される。季節に例えて、「春」「夏」「秋」「冬」とみてもいいかもしれない。この変わり目の時期には、古い秩序が壊され、新しい秩序がつくられていくという。

 

アメリカ(北米)のサイキュラムは、中世以降、この周期を何回か繰り返してきたという。ストラウスとハウは、アメリカのサイキュラムを年代ごとに検証し、次のように分類している。

 

・中世(Late Medieval) 1438年 - 1487年
・改革(Reformation) 1487年 - 1594年
・新世界(New World) 1594年 - 1704年
・革命的(Revolutionary) 1704年 - 1794年
・内戦(Civil War) 1794年 - 1865年
・偉大な力(Great Power) 1865年 - 1946年
・千年的(Millennial) 1946年 - 2026年?

 

これらのそれぞれが、第一から第四の節目の時代にわけられる。

 

それぞれのサイキュラムにおける第四の節目「危機」を見ていくと、


サイキュラム「革命的」(Revolutionary)には、独立戦争から合衆国憲法制定まで(1774年-1794年)の時代が含まれている。

 

「内戦」(Civil War)には、南北戦争とその後(1860年-1868年)の時代が含まれる。

 

さらに、「偉大な力」(Great Power)には、世界恐慌から第二次世界大戦(1929年-1945年)が含まれている。

 

そして、いま現在、サイキュラムは「千年的」(Millennial)(1946年-2026年?)の時代。
同じような大きな危機がくるだろうと、ストラウスとハウは20年前の1997年に予測したのだった。

 

大きな危機とはなにか? リーマンショックによる経済の低迷、国家間の紛争、自然災害など。また、科学技術の進歩による弊害の発生(コンピュータハッキング、原子力関連の事故)など。を指しているのだろうか。要注意である。

 

☆ ☆ ☆

 

一方、この本の中では、「世代」は、生まれたその節目によって運命付けられるという。

 

近年でいえば、

1946年から1964年に生まれた人は、「預言者」(Prophet)、
1964年から1984年に生まれた人は「遊牧民」(Nomad)、
1984年から2004年に生まれた人は「英雄」(Hero)、
2005年から2025年に生まれた人は「芸術家」(Artist)


それぞれ呼ばれるのだそうだ。

 

例えば、1946年から1964年に生まれた「預言者」の人は、その幼年期(0歳から20歳)は「高揚」、若年期(21歳から41歳)は「覚醒」、中年期(42歳から62歳)は「分解」、高齢期(63歳から83歳)は「危機」の節目を過ごすことになる。

 

また、1964年から1984年に生まれた「遊牧民」の人は、その幼年期は「覚醒」、若年期は「分解」、中年期は「危機」、高齢期は「高揚」の節目を過ごすことになる。

 

さらに、この本の中には、これら4つの節目に関わる世相が記述されている。

 

その項目は、家族、子ども育成、性別の役割、理想、機関、文化、社会構造、世界観、社会的優先度、動機付け、ニーズ、将来ビジョン、戦争、などにわたっている。

 

例えば、社会構造では、

「高揚」→「覚醒」→「分解」→「危機」の節目には、「統一」→「分裂」→「多様化」→「圧力がかかる」

という世相になり、
また、例えば、社会的優先度では、

「高揚」→「覚醒」→「分解」→「危機」

の節目には、

「コミュニティ最大」→「個人主義台頭」→「個人主義最大」→「コミュニティ台頭」

という世相になるという。

 

戦争の項目もある。

「高揚」→「覚醒」→「分解」→「危機」

の節目には、

「修復」→「議論を呼ぶ」→「決まらない」→「全面的」

という世相になるという。

 

☆ ☆ ☆

 

この本はおよそいまから20年前に書かれたものであるが、時代の転換期である現代をよく言い表している面が多い。

「サイキュラム」という考えかた、そして、「節目」を鵜呑みにする必要はないが、少なくとも、いまは第四の節目「危機」の時代、古い秩序・価値観がくずれ、新しいものにとって置き換えられる時代、新しい価値観が植え付けられる時代の曲がり角にいる、ということを頭の片隅にいれておかねばならないかもしれない。

 

(2017-2-21)

 

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The Fourth Turning: What the Cycles of History Tell Us About America's Next Rendezvous with Destiny

この本の日本語訳が発売されたようです。
ただ、内容に一部省略個所があるとのこと。
これから確認してみます。

 

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フォース・ターニング 第四の節目

(170401 追記)

 

  • 特集
「本で床は抜けるのか」- 国際ブックフェアとコンテンツ関連の展示会

先日、有明にある東京ビックサイトで国際ブックフェア並びにコンテンツ関連の展示会があり、出かけてきました。

 

いろんな本の展示がありました。本や雑誌といっても、最近は、電子書籍といって、パソコン(PC)やタブレット端末、スマートフォン(スマホ)で見る/読む時代に変わりつつあります。書籍(本や雑誌)の流通経路もいままでとは様変わりです。

 

おもしろいとおもったのが、スマホやタブレットで人気の雑誌180誌以上を読み放題というサービス。気に入ったページや写真はネットでプリントできるというもの。

(→ https://www.optim.co.jp/tabuho/ )

 

 

また、あるブースでは、「本で床は抜けるのか」というおもしろい講演をやっていました。Webに掲載された記事が紙の本という形で世に出ていき、さらにデジタル出版として進化していく、これらの過程でさまざまな問題があるそうです。

(→ http://tt2.me/16745 )

 

さて、併設のキャラクターブランドライセンス展では、人間の女性そっくりのアンドロイドロボットが展示されていました。ことばをしゃべり、動きに反応するんです。

 

 

また、空中に、霧のカーテンをつくり、そこにプロジェクタでアニメーションを投影して、演出するという装置もみてきました。

 

 

さらに、クリエイターEXPOというものもあり、漫画、音楽、イラスト、書道、絵本、など個人のブースがたくさんあり、おもしろいものがたくさん展示されていました。

 

たまに、こういうものを見るのは刺激になっていいのかもしれません。歩き回ったので、とても足が疲れましたが...。

 

(2015-7-5)

 

 

 

  • 特集
折れ曲がるディスプレイとは? OLED(有機発光ダイオード)ディスプレイ

先日、横浜で「ディスプレイイノベーション2014」という展示会があった。たまたま時間がとれたので、ちょっと出かけたのだが、そこで驚くようなデモ実験を見せてもらった。

 

折れ曲がる、いや、折りたためるディスプレイとでもいうべきなのか。

 

ひとつの平面カラーディスプレイがほぼ二つ折りにまで折り曲げられ、しかも、その動作が繰り返し行われていた。

 

係のひとに許可をもらって、その様子を撮らせてもらった。

 

これを見ると、たしかに、ほぼ180度くらいにまで曲げられたり、伸ばされたりしている。

 

このディスプレイは、OLED(有機発光ダイオード)と呼ばれる素材でできたものだそうだ。

 

Wikipediaによると、電流に応答して発光するエレクトロルミネッセンス層を有する有機化合物半導体の薄膜が、ふたつの電極間にできており、ひとつの電極が透明であるとのこと。

 

有機材料といえば、樹脂を連想させるが、たしかに、無機材料や金属材料ではないため、折り曲げなどにも強いのであろう。

 

ゲーム機や携帯電話、コンピュータ、テレビなどに使われるディスプレイ用の材料としては、これまで、液晶やプラズマが主流であったが、これからは、OLED(有機発光ダイオード)ディスプレイが注目される。

 

どこまで、進化するか楽しみな素材のひとつである。

 

 

(2014-11-4)

 

  • 特集
ビタミンCが有効?驚きの放射線障害対策

先日、北野幸伯(きたのよしのり)さんが配信されている記事
http://archive.mag2.com/0001606599/index.html
の中に「放射線障害対策に関する情報」として気になる部分があったので、ここで紹介したい。

 

相武台脳神経外科の加藤貴弘先生のメールが、その中で紹介されていたが、放射線障害対策として、ビタミンCが有力なのだそうだ。

 

YouTubeで配信されている動画の説明(下記)を聞いてみた。

 

放射線が細胞膜を痛めて、活性酸素を発生させるが、この活性酸素の発生を効果的に抑制するのだそうだ。ビタミンCが有効だということは、いままで聞いたことがなかったし、マスコミで報道されてもいないようだ。だが、三年ほど前に、防衛医科大学の論文が報告されているという。

 

YouTubeで詳しい説明あり。(英語だが、日本語のナレーションあり)

 

→ ライナス・ポーリング博士からの贈り物( A Gift from Dr. Linus Pauling )

 

「ビタミンCは放射線障害から福島の被災者を守ることが科学的に証明されている。」('Vitamin C is scientifically proven to protect Fukushima victims from radiation effects')

 

 

加藤貴弘先生のブログ

 

→ 緊急報告:人類がすでに手にしている放射線障害

 

(2014-4-8)