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Fedoraでダイヤルアップ接続 (Cartina UM)

Fedoraでダイヤルアップ接続 (Cartina UM)

久しぶりに、ダイヤルアップ接続に挑戦した。いや、Linux OSとしては初めてかなとおもう。まだ、ブロードバンドが普及しない時代に、PCのシリアルポートにモデムを接続し、電話回線を使ってインターネット接続したことはあるが、それ以来である。

 

今回は、ネットブックのPrime PC Cartina UMを使って、Fedora 11にて、また、モデムとしてはPHS携帯電話であるToshiba製の WX320Tを使用してインターネット接続した。

こうすることで、公衆無線LANが使用できない環境でも、無線電波を使ってインターネット接続できると考えたからであった。(WX320Tは、つなぎ放題で契約中のものを使用した。)

 

ここでは、おおよその手順と、途中でつまづいた問題点(最終的には解決したが)を紹介しようとおもう。

 

以下の手順を行う前に、無線LANのスイッチはOFFにしておく。([Fn]+[F2]で左下手前の4番めの青色のランプが消灯するはずである。)

 

Cartina UMには、USBポートが複数あるが、そのうちのひとつのポートとWX320TのUSB端子とを接続する。そして、lsusb、およびdmesgコマンドを実施してみる。

 

$ lsusb

---(省略)---

Bus 001 Device 004: ID 0bda:0156 Realtek Semiconductor Corp. Mass Stroage Device

Bus 001 Device 001: ID 1d6b:0002 Linux Foundation 2.0 root hub

Bus 005 Device 001: ID 1d6b:0001 Linux Foundation 1.1 root hub

Bus 003 Device 001: ID 1d6b:0001 Linux Foundation 1.1 root hub

Bus 002 Device 004: ID 0930:0d35 Toshiba Corp.

---(省略)---

 

のように、Toshiba製のデバイスが認識され、

 

$ dmesg

---(省略)---

usb 2-2: USB disconnect, address 2

usb 2-2: new full speed USB device using uhci_hcd and address 3

usb 2-2: New USB device found, idVendor=0930, idProduct=0d35

usb 2-2: New USB device strings: Mfr=0, Product=0, SerialNumber=0

usb 2-2: configuration #1 chosen from 1 choice

cdc_acm 2-2:1.0: ttyACM0: USB ACM device

---(省略)---

 

のように、このデバイスが「ttyACM0」という名称で識別されていることが確認できるはずである。

 

この確認ができたら、次に、[システム]-[管理]-[ネットワーク]のメニューで、「ネットワーク設定」のタブを選択する。[ハードウェア]-[新規]-[Modem]で、「モデム設定」の別ウィンドウが現れるので、[デバイス]は、「/dev/ttyACM0」を入力し、その他はデフォルトのままとする。

 

さらに、[デバイス]-[新規]を選び、プロバイダーの登録情報を入力する。そして、このときのプロバイダー名が例えば「abcde」だとする。

 

ここまで完了すると、「/etc/ppp/peers」のディレクトリに「abcde」というファイルが自動的にできているはずである。また、「/etc/sysconfig/network-scripts」のディレクトリに、「ifcfg-abcde」というファイルが、もうひとつ、「/etc/sysconfig/networking/devices」のディレクトリにも、「ifcfg-abcde」というファイル(同じもの)ができているとおもう。

 

ここまで設定できたら、本来は、[システム]-[管理]-[ネットワークデバイスの制御]のメニューを開いて、「デバイス ppp0」を選択して「起動」をクリックすれば、ダイヤルアップで接続できるはずであった。

 

ここでひとつ、問題が生じたのであった。上述の手順で行うのだが、モデムが動作しない。どうも、ATコマンドの一部をWX320Tが認識しないようであった。いろいろ調査してみて、次のファイルを少し修正しなければならないことが判明した。

 

それは、「wvdial.conf」というファイルで、上記の設定を行うと自動的に作成されるファイルなのだが、その中にある「Init3=」から始まる一行を削除する必要があったのである。

 

# cat /etc/wvdial.conf ( ← rootでの処理が必要になる)

[Modem0]

Modem = /dev/ttyACM0

Baud = 460800

SetVolume = 0

Dial Command = ATDT

Init1 = ATZ

Init3 = ATM0 ( ←---- この行を削除する )

FlowControl = NOFLOW

[Dialer abcde]

Username = xxxxx@xxxxx.net

Password = xxxxxxxxxx

Phone = 0570570xxx##61

Stupid Mode = 1

Init1 = ATZ

Inherits = Modem0

 

このうちの、「Init3 = ATM0」をviエディタなどで削除する。そして、[システム]-[管理]-[ネットワークデバイスの制御]のメニューを開いて、「デバイス ppp0」を選択して「起動」をクリックする。こうして、ようやく、ダイヤルアップで接続できたのであった。

 

久しぶりに、モデムの「ATコマンド」なるものを使用してみた。Windowsでは、デバイスドライバーをWX320Tに付属しているCD-ROMからインストールしたので、特にこのようなつまづきはなかった。他のLinuxディストリビューションではどうか不明だが、この記述がなんらかの参考になれば、と願っている。

 

最後にひとこと、やはり、ダイヤルアップのPHSモデム接続では、速度は遅いと感じる。

 

(2009-11-15)

 

 

上記の記事を書いた後で、Fedora 11を再インストールしました。ほぼ、同じ方法で、ダイヤルアップ接続できたのですが、一点、パッケージwvdialのインストールが必要でした。もし、途中でメッセージがでた場合は、

 

# yum install wvdial

 

で、できるとおもいます。

 

(2009-12-30)

 

スウィングガールズと長井線

  • 体験
スウィングガールズと長井線

山形県の南部、最上川の流域は、豊かな田園地帯であり、冬の積雪もそんなに多くはない。いまから、三十年くらい前のことであるが、私は仕事の関係で、長井というこの地を訪れる機会が何回かあった。当時は、新幹線も開通しておらず、上野駅から特急列車に乗って、福島経由で、赤湯まで行き、そこで長井線に乗り換えたものであった。

 

長井には、かつてT社の子会社だったM社があり、そこの方々にはたいへんにお世話になったものである。仕事が終わると、あちこちを案内していただいた。なかでも、最も印象に残っているうちのひとつが、最上川の河原での芋煮会(いもにかい)である。食材もさることながら、人々の素朴さがまた良い。

 

山形の、もっと端的にいえば長井の方言は、独特な親しみ深い味わいがあり、私の生まれ故郷の新潟の方言とはちょっと異なるが、親しみやすい心地よい響きのものであった。河原でのたわいのない会話で盛り上がるのは楽しいものだとおもったものであった。

 

ところで何年か前に、「スウィングガールズ」という映画が公開された。東北の片田舎、夏休み返上で補習授業を受けている女子高生たちが、サボリをするための口実として、ビッグバンドを始める。最初はやる気がなかったが、楽器で音が出せるようになってから、だんだんとジャズの魅力に引き込まれていく。そして、ついに本気でバンドを結成、というストーリーである。

 

この映画に出てくる田園風景は、私が三十年ほど前に見た、あの最上川の周辺の風景であり、とても懐かしさを覚えたものである。この映画のロケ地は、長井の近く、最上川の近くであったと思われる。長井線も、民営化されてからは、山形鉄道フラワー長井線と、その名称が変わった。電車も二両編成(あるいは三両編成だったか)のコンパクトできれいな車体となり、たしか、この映画にも登場していたのではなかろうか。

 

昔に見たあの風景と人情の遠い記憶が、この映画を見たとき、再び想い起こされて、懐かしさにかわったひとときであった。

 

もちろん、このスウィングガールズという映画も、楽しいものであった。なにより、ジャズというジャンルの音楽が新鮮であった。また、竹中直人の演技もすばらしい。印象に残る作品である。

 

(2009-10-17)

 

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「小説『坊っちゃん』誕生秘話」

  • 特集
「小説『坊っちゃん』誕生秘話」

文豪・夏目漱石の名作である「坊っちゃん」。その中でもっとも魅せられ、生き生きとした主人公の「おれ」は、どのようにして生まれたのか。漱石は、この作品を通じて、読者に何を語り、表現しようとしたのか。

 

これらの一端を解き明かすべく、このほど一冊の本が出版された。著者は、我々の母校で教鞭をとられたこともあるK先生である。

 

我々が高校2年のときに、社会科の世界史をユニークな方法で教えていただいたK先生のことは、以前に紹介させていただいた (「高校「世界史」の授業」を参照下さい。) が、人の縁とは不思議なものである。K先生は、我々の母校で教鞭をとられた後、新潟県内の高校の学校長、関根学園の校長などを歴任された。

 

K先生が関根学園校長として赴任していたある日、早稲田の2年の時に「坊っちゃんのモデルは関根萬司であり、それを漱石に紹介したのは新潟商業高校を出た堀川三四郎である」という本を読まれたということを突然思いだされたそうだ。両校の校長を歴任して縁がある自分が解明しなければならないという天命を感じられたそうである。そして、今日まで調査研究された集大成が、この「小説『坊っちゃん』誕生秘話」である。

 

 

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小説『坊っちゃん』誕生秘話

モデルとされた関根萬司と堀川三四郎の足跡をたどり、さまざまな仮説をたて、検証していく貴重な文学研究の書である。たとえば、仮説として、

 

・夏目金之助は、堀川三四郎が角田の中学校に赴任する時から辞任した後まで世話をしていた

・松山に着いた「おれ」が「赤シャツ」と「山嵐」の対立の間で揺れ動く描写は、堀川三四郎が角田の中学校の紛争で経験したこと

・婆や「清」は佐藤亀世からの創出

・画学の吉川先生は視学官野田藤馬

・マドンナは石川絢(あや)(三四郎夫人)

・「うらなり」のモデルも●●●

・「坊っちゃん」という題名は関根萬司のニックネーム

 

などが紹介されている。

我々にはなじみの地名などもででくるので懐かしくなる。

ご興味おありの方は、書店またはこちらで入手できる。

 

(2009-9-19)

 

 

勝山一義「小説『坊っちゃん』誕生秘話」

文芸社 (新宿区新宿1-10-1 / 03-5359-2299)

 

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COMMENT:
AUTHOR: 関根則男
EMAIL: spb25ny9@festa.ocn.ne.jp
IP: 210.20.13.133
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/lax3140/33033332.html
DATE: 09/27/2009 22:03:34
今晩は、私のプログ記事「我が先祖は「坊っちゃん」のモデル?・・関根萬司」にトラックバックいただきありがとうございました。K先生のお知り合いの方でいらっしゃったのですね。K先生何度か私の実家を訪問いただいたようです。該書籍の中で小生の手紙の内容を「○○○○氏の研究」として掲載されています。(無断ですけど・・・笑)


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COMMENT:
AUTHOR: ふる
EMAIL: m@m
IP: 221.119.0.185
URL:
DATE: 09/29/2009 07:52:23
ご来訪いただきありがとうございます。K先生のご出身のY高校の東京地区同窓会の会長さんから、今回の著書のご紹介をいただきましたので、本サイトにて簡単に紹介させていただきました。

 

PCのダウンと復旧の顛末

PCのダウンと復旧の顛末

いま自宅でメインに使用しているPCがダウンしてしまった。Windows側は立ち上がるのだが、Linux側がまったく立ち上がらない。

 

いままでは、Windows(XP)とlinux(TurboLinux Fuji)を住み分けして使っていた。私は、Linuxの初心者であって、あまり詳しいほうではない。それでも、インターネット、メール、文書作成など、大抵のことはLinuxでできるようになったが、どうしてもWindowsでないとできないものがあるので、デュアルブートの状態にしていた。

 

使っているPCはメインメモリが320MBで、およそ100GBのハードディスクを分割して、使っている。その構成は、WindowsXP(FAT32)、Linux(Boot)(ext3)、Linux(root)(ext3)、LinuxSwap、Data(FAT32)としている。また、起動時のエントリーは、MBM (Multi Boot Manager)を使用させてもらっている。

 

先日、ある時、突然に、LinuxのBootができなくなってしまった。MBMでは「Invalid」という表示でエラーになった。また、Windows側からLinuxのシステムを監視できるソフト「ext2fs」を使って見てみると、Linux(Boot)のセクションにあるべきファイルがすべて消えていることが判明した。

 

幸いなことに、データは別のパーティションにバックアップしてあったので、事なきを得たが、やっかいなことに遭遇したものだとおもったのである。

 

実は、たしか以前にもこんな現象があった。そのときは同じLinuxのDistributionを最初からインストールしなおしたという記憶があった。

 

それで、今回も、同様に行おうとおもったのだが、この際、別のLinuxを入れてみるのもいいかなとおもい、いろいろと試してみることにしたのであった。

 

まず、TurboLinux Client 2008 である。

 

インストール自体はうまくでき、無線LANの設定もOKであった。問題は、大きく2点。

 

ひとつは、マウントされるWindows領域の漢字名のファイルが文字化けしてしまうこと。いろいろ試したが、どうにも直らない。

 

もうひとつは、音楽関連のソフト「mplayer」がデフォルトでは動作しない。yumのシステムでインストールは一応されるようなのだが、動作させるとエラーになってしまう。そこで直接、ファイルをダウンロードし、自分でコンパイルして一応は動作させることができた。ただ、この場合も、画面の大きさの制御ができないという欠点がでてきた。

 

次に試したのが、Fedora 11である。

 

この場合は、システムのインストールと無線LANの設定は問題なくできた。

 

だが、「mplayer」が、しかし、うまく動作しない。これもyumのインストールでできたのだが、今度は、画面は問題ないものの、音のとびが発生してしまった。どうも画面と音がずれているようだ。その他の問題はなかったのだが、「mplayer」で音楽が聞けないことは、やはり問題であって、いまひとつ使うことにためらいを覚えてしまった。

 

これらの原因はおそらく、PCに搭載されているメモリにあるのだろう。なにしろ、320MBのメインメモリなので、最近のディストリビューションでは、PC側の負担が大きすぎているのだろうとおもっている。

 

なので、結論としては、やはり、いままで使用できていたTurbolinux Fujiを入れ直すということにしたのだ。そして、ほぼ一日をかけて、復旧させた。

 

メモリの少ないPCでは、最近のデストリビューションを扱うには無理があったようだ。

 

でも、本当になんとかできないのだろうか。もう少し、解決策を探ってみようかとも考えている。

 

(2009-8-17)

 

 

 

この夏、感じたこと

  • 日記
この夏、感じたこと

久しぶりに、帰省した。盆の時期、墓参が目的だった。たまたま、その日は快晴で、すっきりした青空と緑を堪能することができた。電車での帰省なのだが、車窓から見る山々と田園に続く緑はまさに夏の風景そのものであった。

 

(新幹線の車窓からみた浅間山。)

 

しかしである。今年は日照不足だとのこと。いままで、雨や曇りのはっきりしない天候が長く続いたのだとのことであった。そのためか、稲の生育も遅れているようだ。そういわれてみると、たしかに稲穂の芽の出具合も良くない。トマトも成熟しないうちに落下してしまっているのを目にした。例年にない異常気象だといい、農作物の生育にも大きな影響を与えているという。

 

そして、墓参を済ませた後での会話。引退した老夫婦の語る言葉は重い。いま、農山村ではなにが起きているか。それは、住民の高齢化と、若者の減少、それにともなう農地の荒廃、これらを改めて、認識させられた。

 

ひとつは、高齢者の問題がある。私の出身の集落では、所帯数が17戸と少なくなっている。しかも、そのうち、高齢者の単身所帯がいくつかあるという。また、50歳以上だけの所帯も多い。老親とその子供ひとりの所帯も多い。

 

人口の少ない農山村では連れ合いに先立たれた高齢者は、元気なうちはまだいいが、体が不自由になると、介護の問題がでてくる。

 

特別養護老人ホームは、常に満杯とのこと。最近、またひとつが新たに建設されて、オープンしたときいた。しかし、そこも既に満杯で、入所待ちの状態が続いているという。

どこどこのだれそれが、具合悪いとか、入所したとか、いろいろ聞かされる。

 

もうひとつは、産業の空洞化の問題である。もはや、専業農家では成り立たない。若者は職を求めて都会に出て行く。都会とはいわないまでも、山間部から交通の便利な平野部に移り、そこに暮らし始める。農地は、減反政策と若者の減少で手つかず、荒れたままの状態になっている。

 

そこは、見た目、緑が多いのだが、実状は、荒れた田んぼに野性の草木が成長し手がつけられない状態になってしまっている。

 

また、働きたくても、この不況で仕事がない。いままで、働き口を提供していた半導体メーカーが不況で人員削減、契約社員の契約解除を行なうなど。自宅から通勤できる範囲には、仕事がないというのだ。

 

(夏の風景。)

 

これに関連して、交通の問題がある。農山村では、自家用車が必須である。私の出身の集落に関しては、路線バスは、一日4本が通るのみである。それも停留所は、集落の中心から500メートルも離れた場所にある。

 

帰省の折、このバスに乗車して驚いた。40人乗りのサイズのバスだが、ターミナルからのお客はたったひとり(筆者のみ)であった。途中、老婦人がふたりほど乗り降りがあった程度で、私が停留所で降りたら後は運転手さんひとり。片道15キロメートルの路線(うち、山間部が7キロメートル程度ある)をたった数人の顧客で運転しても、とても採算がとれるとは思えない。

 

しかし、自家用車という手段を持たない高齢者などにとっては生命線ともいえるものであり、路線バスの公共性もあって廃止できないとはおもうが、問題は多いとおもう。

 

なかなか、すぐに解決できるような問題ではない。複雑な気持ちを胸に、故郷を後にしたのであった。

 

(バス停。一日4回、路線バスが停車する。)

 

(2009-8-23)