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本田美奈子.ミュージアム、「かの残響、清冽なり」

この五月連休のうちのある一日を使って、本田美奈子.ミュージアム[1] に行ってきました。

 

本田美奈子.といえば、昭和の代表的な歌姫のひとりですが、道半ばで急性骨髄性白血病を患い、残念ながら38歳という若さで他界されました。彼女のデビュー当時に間近に本人を見たこと、アメイジンググレイスのうたごえがきっかけとなって、本田美奈子.のことゑもっと知りたいとおもうようになったことは、以前に記事にしました。[2]  [3]  [4]

 

半年ほど前に、Twitterのお知らせメールで、本田美奈子.ミュージアムが開館したことを知り、いつか行ってみたいと思っていたのですが、なかなか機会がなく、この五月連休になってしまいました。

 

JR武蔵野線の北朝霞駅から南西の方向へ徒歩約25分、小川沿いにある倉庫街の一角にそのミュージアムはありました。

 

stage

 

本田美奈子.の歌手としてのデビューは1985年。東芝EMIからレコードを出していました。
当時、私が勤務していたT社では、会社の福利厚生の一環である夏祭りのイベントとして、
芸能人を呼ぶ、ということもやっていました。その年は、本田美奈子でした。東芝EMIが同じT社のグループ会社のひとつであったというのも選択された理由なのでしょう。

 

彼女のうたごえについていえば、当時は、比較的激しいテンポの曲に合わせて、小柄な女の子が歌っているな、くらいの認識しかありませんでした。私が間近に美奈子本人を見たのは、これが最初でした。(そして最後でした。)

 

minako_1_1985 minako_2_1992

 

本田美奈子.ミュージアムには、彼女の歴史が綴られています。その後、1986年のマリリンを世に送り出し、ガールズバンドでロックも経験し、ミュージカルへの挑戦も、ポップスとクラシックを混ぜた新しいクラシカル・クロスオーバーというジャンルへの挑戦も、というキャリアを積んでいくのでした。

 

history_1 history_2

 

history_3 history_4

 

再び、本田美奈子.を知ることとなったのは、2005年、アメイジンググレイスのうたごえを聞いた時でした。

 

実際、それまでは、本田美奈子.がどのような活動をしているか知らなかったのです。このアメイジンググレイスのうたごえを聴いて、彼女のことをもっと知りたくなったのです。

 

本田美奈子.ミュージアムには、それぞれの時代の活動を知らせる写真と、当時使用していた衣装や小道具、台本、数々の賞をいただいたときの楯やトロフィーなどが電磁されています。ミス・サイゴンに出演したときの帝国劇場の楽屋を再現したブースもありました。

 

exhibition_1 exhibition_2

 

本田美奈子.の20年間の歌手としての人生で、彼女は日本の歌謡曲から演歌、ロック(ガールズバンド)、海外のポップスにいたるまで、ポピュラー音楽のジャンルをすべて歌い、ミュージカル女優として、また、クラシカル・クロスオーバーという新しい世界へと挑んでいました。シンガー・アーティストの中でも稀有な存在でした。

 

坪井賢一さんがダイヤモンド・オンラインから出版された「かの残響、清冽なり。本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」という電子書籍[5] には、「日本の100年にわたるポピュラー音楽の水流は、彼女の20年に流れ込んだように思える。」と書かれています。

 

 

ポップス歌手としてデビューした1985年から、最後のコンサートとなった2005年の、この20年間に、本田美奈子.のすべてが集約されています。

 

本田美奈子.のすごいところは、その音域の広さです。それもポップスからソプラノ音域のクラシックまで、「すべてのジャンルの歌をそれぞれの発声法で」しかも同一のコンサートの中で歌うといったことまで成し遂げています。YouTubeにも、彼女の音域の広さが分かる動画が投稿されていたことを思い出します。

 

坪井賢一さんも、「現在でも広い音域を自由に行き来する歌手は多数いる。・・・しかし、ソプラノ音域のクラシックまで、それも声楽の発声(頭声)で歌ったポップス歌手は彼女以外にはいない。・・・本田はそれぞれのジャンルをそれぞれの発声法で歌っており、これは例がない。」と絶賛されています。

 

本田美奈子.ミュージアムでのフィルムコンサートでも、彼女の音域の広さは伺い知ることができます。

 

本田美奈子.に会いに、本田美奈子.ミュージアムへ行きましょう。

 

 

(2019-5-18)

 

 

[1] 本田美奈子.ミュージアム https://minako-museum.jimdofree.com/

[2] あるアーティストの生涯

[3] 本田美奈子.と「ひめゆり」

[4] 本田美奈子.の最後のクリスマスコンサート

[5] 坪井賢一「かの残響、清冽なり。本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」(ダイヤモンド社)  第1巻「再生」  第2巻「声楽」  第3巻「舞台」

 

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(追記)

 

7月31日は、本田美奈子.さんの誕生日です。

本田美奈子.ミュージアムを紹介しているビデオメッセージを見つけたので、ご紹介します。

 

 

(2020-8-1 追記)

 

 

 

  • 音楽
本田美奈子.の最後のクリスマスコンサート

2004年12月のクリスマスコンサート、そのときの本田美奈子.の歌声をはじめて聴いた。

彼女が病床に臥す直前の、最後のコンサートだそうだ。成熟したまろやかなその歌声は、当時の観客を魅了したことだろう。知っていれば、私も聴いてみたかった。YouTubeなどで断片的に聞くことができるものもあるだろうが、この流れの中で、聴くことができるのはすばらしいことだ。

 

・・・・・

 

本田美奈子に最初に出会ったのは、私が当時勤務していたT社の夏のイベントであった。

 

1985年のデビュー直後のことだった。T社の関連会社であるT音楽工業からデビューしたばかりの小柄な女性であった。飲食をしながら、ステージから流れてくる音楽と彼女の歌声を聞いていたが、ただ、残念ながら、当時の曲はテンポが速くて、あまり強く印象に残ってはいなかった。その後も、実際はあまりフォローできていなかった。

 

それから約20年後のことである。あるとき、訃報が飛び込んできた。「Amazing Grace」とともに。この歌がとても美しく、心に残るようになった。また、歌っている人が本田美奈子であり、亡くなったと知った。驚いた。20年前の彼女からは、とても想像できない、美しい歌声だった。そして、この空白の20年間の彼女の業績を調べはじめた。

 

「天に響く歌―歌姫・本田美奈子.の人生」という書籍の中に、彼女の歩みが記してあった。歌声を収めたCDもいくつか店頭に並んでいた。そこには、それまで知らなかったさまざまな事柄が残されていた。

 

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いろんな曲がYouTubeに残っていた。彼女が、アイドルのソロシンガー、ガールズバンド、ミュージカル、クラシックというそれぞれに集中した時期があり、特徴的な曲を残している。なかでも、ミュージカルの舞台からクラシックへの挑戦をはじめた時期、何回か、コンサートを行っており、その映像が残っていた。ピアノ伴奏に合わせて歌う彼女の姿はとても印象的であった。もっと早く本田美奈子のことに気づけはよかったとさえ思った。

 

コンサートで、曲と曲の合間に聞こえる彼女のトークはまたすばらしかった。観客を気遣い、観客に合わせて、その場をリードしていく、それでいて、しとやかで和やかな雰囲気を創り出せるすばらしい女性アーティストだった。「ひめゆり」などに少しばかり、その痕跡を見いだせる。

 

本田美奈子.のコンサートの映像を探した。YouTubeには、断片的にいくつかのコンサート映像がアップされていた。だが、そのDVDは無かった。

 

DVDはデビューして2年後くらいのものは市販されていたが、ミュージカルからクラシックへの挑戦の時期のものは映像そのものがあまり残っていないようだ。DVD化もされていなかった。とても残念な想いであり、もしも映像が残っているのであればDVD化をと、強く願っていたところであった。

 

そんな折、今回、没後10年の節目に、冒頭のコンサートを含めたいくつかのコンサートでの映像がDVD化されたのだ。

 

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そして、最後のクリスマスコンサートの様子を初めて見ることができた。

 

このDVD3枚のうち、2枚めの後半にあるこのクリスマスコンサートは、特に、印象的だった。これを見聴きし、長い空白期間の未解明の一部がようやく埋まったという感じさえある。初めての映像であった。ぜひ、一度聴いていただきたい本田美奈子.の最後のクリスマスコンサートである。

 

(2016-1-14)

 

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天に響く歌―歌姫・本田美奈子.の人生

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本田美奈子.と「ひめゆり」

いまからおよそ25年ほど前のことである。当時、私が勤務していたT社では、夏祭りのイベントが行われていた。そのステージに、ひとりの新人女性歌手がいた。彼女の名は本田美奈子(ほんだみなこ)、直接、本人を間近で見たのは、このときが最初で、そして最後であった。デビューしたばかりの彼女が、アップテンポの曲にのって、ステージで歌唱していたのを、いまだにおぼろげながら覚えている。ただ、当時は、実は、あまり興味がなかったのだった。テンポの早い曲、激しいリズムの曲を歌っているという感じがあって、なんとなく、そのままになってしまったのであった。

 

そして、20年の時が流れた。私の耳には、再び彼女の名が入ってきた。しかも、まったく別の形で。2005年11月、ひとりのアーティストが、急性骨髄性白血病で38歳で他界したというニュースが入ってきたのであった。本田美奈子.である。

 

訃報とともに、テレビで特集番組が組まれた。そして、私は、その時、彼女が歌っている「アメイジング・グレイス」という讃美歌を聴いたのである。それはそれは、すばらしい歌声であった。なんだか、心が洗われるような感覚で、聴き入ったのであった。およそ、20年以上前の彼女の姿からは、想像もできないほど歌唱力はすばらしいものであった。また、このことがきっかけとなって、再び、彼女の歌声を聴くようになったのだ。

 

調べてみると、本田美奈子.は、アイドル時代、グループを組んでいた時代、ミュージカルへの挑戦の時代、クラシック音楽との出会いなど、さまざまな経験をし、その時代ごとに、特徴のある歌を残していることがわかってきた。

 

私の好きなジャンルは、その中のミュージカルやクラシックといったところであろうか。特に、「つばさ」や「Time to Say Good Bye」は、声量が必要とされる難しい歌曲であるが、あの小さな体から発せられる歌声は、心を惹きつけられるものであった。

 

そのほかにも、「時」や「見上げてごらん夜の星を」や「Golden Days」など、好きな曲はたくさんある。CDは何枚か、買い求めた。あらためて、いま振り返って見ると、20数年前の歌ごえも、ミュージカルやクラシックに打ち込んだ時代の歌ごえも、どれもすばらしい。低音から高音まで4オクターブの音域の発声ができるというのも知った。

 

もう少し早く、これらのことを知っていたなら、彼女のコンサートを聴きに出かけていたかもしれない。残念である。

 

彼女のコンサートのDVDがあるかどうか、探してみた。デビューした当時から1, 2年のものはあるのだが、ミュージカルに挑戦した時代のものや、それ以降の時代のコンサートなどの映像は、DVDでは残っていないようで、唯一、インターネットの「YouTube」で見るしかないようだ。

 

その中のひとつに「ひめゆり」を歌っているシーンがあった。Blue Spring Club というファンクラブの集いのときのもののようであって、ファンのリクエストに応えるかたちで、彼女が伴奏なしでうたっていた。

 

最近、このミュージカル「ひめゆり」のひとコマをまとめた動画が、ミュージカル座のホームページに掲載されていることがわかった。「生きている」という曲を本田美奈子.が歌唱している。


http://www.musical-za.co.jp/COMPANY/movies/15honda.htm

 

彼女が旅立った後に、残っていた彼女の歌ごえに魅せられ、私はファンのひとりになったようだ。ミュージカルに打ち込んだ時代のひとコマや、クラシックを歌っているコンサートなどの映像があったら、これらをDVDにして販売してほしいと望むのは、私ひとりだけだろうか。いや、もっと多くのファンの方々がおられるに違いない、そう信じている。

 

(2010-7-14)

 

  • 体験
時間旅行

このところ寒い毎日が続き、先日は関東南部にも雪が積もった。風が強く、冷たいが、その分、晴れた夜は星がよく見えるようになった。冬の夜といえば、オリオン座の三つ星と、少し東にあり全天でもっとも明るい恒星であるシリウスが記憶に残っている。

 

子どものころ、冬休みだったとき、雪国で冬空を観察したことを想い出したのだ。たしか、あの頃は木星がオリオンの三つ星の近くにいて、シリウスよりも明るかったな、などと思ったものだった。

 

天文学を正式に学んだことはないのだが、夜空の星をみていられるのは楽しいことであった。中学生の頃、球面天文学の解説書らしきものを、学校の図書館で借りて読んだ記憶がある。難しい三角関数の数式などはさっぱり理解できなかったが、歳差と章動、光行差など「新しい」知識が興味を誘った。恒星まで光でさえ何年もかかるということも知った。

 

本を読んだからといって、どうにもなるものではないが、それでも「子ども心」におもしろさを感じていた。

 

本田美奈子.のアルバムの中に、「時」というクラシックの曲がある。この曲は、過去から未来へと連続した『時」の流れの偉大さを歌い上げている。コロラド渓谷を飛行して撮影した画像(ユーチューブに在った)とあわせてこの曲を聴くと、「いま」は、長い歴史の中のほんの一部分にしか過ぎないことを、あらためて感じてしまう。

 

「時」の偉大さは、天文学にも通じるところがあるのではないだろうか。「いま」見えている夜空の星の光は、何年、何十年も、何百年も前に発せられた星の光であり、「いま」の星の光は、何年も経なければ見えないのだ。こんなことを思いながら、あらためて本田美奈子.の「時」を聴いていた。

 

宇宙旅行は、実際にはまだまだ可能とはいえない。しかし、コンピュータである程度のシミュレーションを行うことはできる。手近なところでは、Linuxのフリーソフトの中に、Celestiaというスペース・シミュレータがある。このソフトをPCにインストールして、「デモ」を動作させてみたことがある。

 

まず、地球から出発して、太陽系の惑星をめぐり、そこから、さらに銀河系の外まで飛行して、星や星雲などを観察し、再び地球に戻ってくる、という「旅行」を体験することができる。本来ならば、気の遠くなる時間、何千年もかかる旅行を、数分のデモンストレーションで行うことができるのだ。「時」の偉大さは、こんなところにも感じられる。

 

宇宙の歴史に比べてもっと短いが、人類の歴史もまた「時」の流れの中にあった。ひとりの人生を考えてみてもそうである。

 

久保田早紀の「異邦人」や、中島みゆきの「時代」という作品をじっくり聴いていると、子どもだった頃を想い出すが、同時にやはり「いま」を考えてしまう。時間旅行は、「時」の流れであり、「いま」という一瞬、一瞬の積み重ねが悠久の歴史をつくるのだということを、あらためておもい知らされている。

 

とりとめのない話になってしまった.......。

 

(2010-2-7)

 

 

  • 音楽
あるアーティストの生涯

2005年11月、ひとりのアーティストが、急性骨髄性白血病で38歳で他界した。本田美奈子.である。

 

彼女のデビューは1985年、私が当時勤務していたT社の研究所の、たしか夏祭りのイベントであったとおもうが、デビューしたての彼女がステージで歌っていたのをおぼろげながら覚えている。

 

直接、本人を見たのはこのときが最初で最後であった。およそアップテンポの曲で、当時はあまり興味がなく、そのままになっていたのである。

 

それから二十年後、私は再び彼女の名を耳にした。アメイジング・グレイスという歌(讃美歌)を聴いたのである。すばらしい歌声であった。

 

それをきっかけに、再び彼女の歌を聴くようになった。

 

調べてみると、アイドル時代、グループを組んでいた時代、ミュージカルへの挑戦の時代、クラシック音楽との出会いなど、その時代ごとに、特徴のある歌を発表していることがわかってきた。

 

 

いま、彼女の歌はCDやインターネットのユーチューブなどで聴くことができるが、すばらしいアーティストの歌声である。

 

(2008-2-24)