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  • 春夏秋冬

    2008/12/20

    日記

    はる・なつ・あき・ふゆ---相模原大野北公民館前今年もあと僅かとなった。毎日、通勤の折、なんとなく見かける駅前の風景だが、季節の移り変わりは早いものである。今年 ...

  • 同級会、同窓会

    2008/11/29

    日記

    冬の訪れとともに、忘年会の季節がやってきた。職場仲間での忘年会もいいのであるが、学生時代の同級生らと旧交を温める同級会もまたいいものである。ことしは、初めて(? ...

  • 久しぶりの家族旅行

    2008/09/21

    散策・旅行

    佐渡金山で露頭に鉱脈がでている道遊の割戸(どうゆうのわりと)。真夏だというのに、金山の内部は10℃以下の寒さであった。昨年の夏、久しぶりに家族揃って旅行をした。 ...

  • あるアーティストの生涯

    2008/09/15

    音楽

    2005年11月、ひとりのアーティストが、急性骨髄性白血病で38歳で他界した。本田美奈子.である。彼女のデビューは1985年、私が当時勤務していたT社の研究所の ...

  • 日記
春夏秋冬

はる・なつ・あき・ふゆ --- 相模原大野北公民館前

 

 

今年もあと僅かとなった。毎日、通勤の折、なんとなく見かける駅前の風景だが、季節の移り変わりは早いものである。

 

今年は、本当にいろんなことがあった。とてもひとことでは言い表せないくらい、人生の節目、節目にあたるさまざまなイベントに遭遇した。

 

いまマスコミなどで話題になっている介護の問題、就職の問題などどれをとっても、いまの我々の世代に降りかかってくる難問なのである。もちろん、中にはうまくいったこともあった。難問をマイナスと考えずに、プラス思考で乗り切りたいとおもっていたが、まだまだ上り坂の途中なのである。

 

峠を越えるには、もう少し時間が必要なのだとおもうこのごろである。

 

人生も季節と同じ、回り回ってまた繰り返す。

 

冬といえば、思い出す懐かしい曲がある。

 

ひとつは、「木枯らしの二人」、これは伊藤咲子がデビューしたときのおよそ三十年ほど前くらいの曲である。もちろん、歌唱力も抜群であったが、私はそれよりも曲そのものに惹かれていた。アップテンポの曲ではあるが、冬という季節特有のテーマを見事に表現したものだと感じていた。極端にいえば、それまでの曲とはまったく違った、心を惹きつける何かを感じていたのである。

 

もうひとつは、「さらばシベリア鉄道」、この曲は大滝詠一が作曲し、太田裕美がうたっていた。これもアップテンポの曲である。冬、寒い雪の風景をみごとに曲で表現していたものであった。

 

どちらの曲も、かなり昔のものなので、知らない方々もおられるかもしれない。あるいは、同じように時代を過ごしてこられた方がこの記事を読んでくださっているのかもしれない。けれど、もしご存じないのであれば、一度聴いてみられることをおすすめする。きっと、「冬のテーマ」の代表曲のひとつとして心に余韻を残すこととおもう。

 

さて、12月のはじめには、宵の空に、木星、金星、月が大接近するという天文現象があった。友人からそのことを聞いていたので、ぜひ見てみたいとおもったのだったが、あいにくの天候のため、残念ながら、観測することができなかった。数日たってようやく晴れた宵の空に、木星と金星が並んでいるのを見つけた。

 

都会ではなかなか星の観測はおもうようにはできないな、と感じた瞬間でもあった。

 

写真の中央付近で明るい方が金星、少し暗い方が木星。国道16号線の付近。

 

(2008-12-20)

 

 

  • 日記
同級会、同窓会

冬の訪れとともに、忘年会の季節がやってきた。職場仲間での忘年会もいいのであるが、学生時代の同級生らと旧交を温める同級会もまたいいものである。

 

 

ことしは、初めて(?)関東地区で行うので、ぜひ参加をという案内のメールを、高校時代の同級生の幹事さんからいただいた。

 

おもえば、高校時代の同級会は、夏休みのあたりに、母校のある郷里のお店を借りて行うのが常であった。何十年もの時を経て再会した旧友の元気な姿をみて、語り合い、またその場から元気をもらうのであった。これまでに数回は出席したことがあり、そのたびに、新しい話をうかがうことができたのである。

 

今回の関東地区での同級会の開催は、とてもうれしかったが、残念ながら出席できなかった。家族のイベントと重なってしまったのである。もし次の機会があれば、今度は、ぜひ参加したいとおもっている。

 

同窓会は、同じ学校をともにした先輩・後輩・先生方が集う会で、こちらは私が知る限り毎年開催されているようである。残念ながら、こちらにはこれまでほとんど出席できなかった。仕事の調整や体調不良などで、幹事さんには本当に申し訳なくおもっている。

 

ところで、ウェブ上の同窓会なるものがあることをご存じだろうか。いくつかのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)があるようだが、私が良心的であると判断し、足跡を残しているものが、 「ゆびとま」 (ウェブ同窓会「この指とまれ」 http://www.yubitoma.or.jp )である。出身の学校を登録し、公開してもよい情報を記入すると、同級生・先輩・後輩で知っている人のプロファイルがいくつかでてきた。ここを起点にまた、旧交を温めたり、新たな出会いを楽しんでみるのもいいのかなとおもっている。

 

(2008-11-29)

 

 

上記の記事を書いた後に、「ゆびとま」の経営者が交替したようで、一時は縮小されたホームページとなっていました。が、しかし、現在では閉鎖されているらしく、つながりません。(リンク切れとなっています。) SNS としての質は良かっただけに、残念です。

 

(2010-1-31 追記)

 

 

久しぶりの家族旅行

佐渡金山で露頭に鉱脈がでている道遊の割戸(どうゆうのわりと)。
真夏だというのに、金山の内部は10℃以下の寒さであった。

 

 

昨年の夏、久しぶりに家族揃って旅行をした。揃って遠出することは滅多になく、子どもたちが小さい頃を除けば、それまで何年もなかったのたが、たまたま、勤続何年かのイベントで有期の旅行券をいただけたのである。これを使用させてもらって、家族の希望もあり、佐渡島へと出かけた。

 

佐渡は、交通の便を考えないと自由に回れない。良き交替運転者の妻と二人の息子を得て、自家用車で島内を回ることができた。

 

一番喜んだのは我が家の一番下の息子であった。直江津港からカーフェリーに乗るのもはじめてだし、「本土から離れる」のもはじめてで、うれしそうだった。私自身も、新潟県生まれでありながら、佐渡へは一度もいったことがなかったので、よい機会を得たとおもっている。

 

佐渡では、小木港から入り、最初の晩は相川町に宿泊、翌日、佐渡金山の跡見学と、砂金採りの体験をし、さらにトキの保護をしている公園、郷土資料館を見て回った。あの話題にのぼったジェンキンズさんにも資料館で会うことができた。

 

旅館でのひとときもまた楽しいものだ。窓からの景色も海鮮料理も想い出に残るものであった。

 

佐渡の歴史、人情に触れ、喜ぶ家族の顔を見て、この時に来られて良かったと思っている。

 

子どもたちもひとり、ふたりと独立し、それぞれ巣立っていく。今後おそらく、このメンバーが家族旅行で揃うことは滅多にないだろうとおもっているが、願わくばいつかまた揃って旅行をしたいものだ。

 

(2008-2-24)

 

 

佐渡で困ったことのひとつは、携帯電話の一部が通じない地域があったことです。

PHSは、相川町、両津の付近ではつながりましたが、その他ではまったくだめでした。

Docomoとauは、ひとまずOKのようでした。

 

(2008-12-16 追記)

 

 

  • 音楽
あるアーティストの生涯

2005年11月、ひとりのアーティストが、急性骨髄性白血病で38歳で他界した。本田美奈子.である。

 

彼女のデビューは1985年、私が当時勤務していたT社の研究所の、たしか夏祭りのイベントであったとおもうが、デビューしたての彼女がステージで歌っていたのをおぼろげながら覚えている。

 

直接、本人を見たのはこのときが最初で最後であった。およそアップテンポの曲で、当時はあまり興味がなく、そのままになっていたのである。

 

それから二十年後、私は再び彼女の名を耳にした。アメイジング・グレイスという歌(讃美歌)を聴いたのである。すばらしい歌声であった。

 

それをきっかけに、再び彼女の歌を聴くようになった。

 

調べてみると、アイドル時代、グループを組んでいた時代、ミュージカルへの挑戦の時代、クラシック音楽との出会いなど、その時代ごとに、特徴のある歌を発表していることがわかってきた。

 

 

いま、彼女の歌はCDやインターネットのユーチューブなどで聴くことができるが、すばらしいアーティストの歌声である。

 

(2008-2-24)