カテゴリー:日記
  • 丹沢、そして浅間山ふたたび

    2009/02/01

    日記

    今年はどんな年になるのだろうか。昨年の秋以降、いっこうに景気回復の兆しは見えない。特に、製造業にとってはたいへんな受難の毎日である。大手の電機メーカーも業績悪化 ...

  • 春夏秋冬

    2008/12/20

    日記

    はる・なつ・あき・ふゆ---相模原大野北公民館前今年もあと僅かとなった。毎日、通勤の折、なんとなく見かける駅前の風景だが、季節の移り変わりは早いものである。今年 ...

  • 同級会、同窓会

    2008/11/29

    日記

    冬の訪れとともに、忘年会の季節がやってきた。職場仲間での忘年会もいいのであるが、学生時代の同級生らと旧交を温める同級会もまたいいものである。ことしは、初めて(? ...

  • 秋の訪れ

    2008/10/05

    日記

    暑さからも解放され、この頃は過ごしやすくなった。ことしは秋の気配が例年より早いような気がしている。先日、散歩していて、道ばたに咲いていた彼岸花を見つけた。夜は、 ...

  • 帰 省

    2008/09/15

    日記

    このところ、田舎に帰省するのはほぼ一年に一回、夏のお盆の前後にお墓参りにいくくらいであり、なかなかいけなかった。高校卒業後、関東地方で生活の居を構え、暮らしてい ...

  • 日記
丹沢、そして浅間山ふたたび

今年はどんな年になるのだろうか。昨年の秋以降、いっこうに景気回復の兆しは見えない。特に、製造業にとってはたいへんな受難の毎日である。大手の電機メーカーも業績悪化で大幅な人員削減策も提示されていると聞く。

 

そんな中でも、心だけは落ち着いていたい。

 

神奈川県北の丹沢山系を望む

 

正月休みに、自宅近くの高台から丹沢の山々をみた。晴れていて空気は澄み渡り、久しぶりに気持ちの良い一日であった。

 

ふだんは車の排気ガスのせいか、かすんで見える山々が、この日ははっきりと見えた。気持ちの整理をし、また新たな状態で、今年をスタートさせたいとおもったのであった。

 

そして、先日、一月の終わりであるが、出張で再び新幹線にのり、浅間山付近を通りかかった。

 

新幹線車中から望む冬の浅間山(北軽井沢付近)

 

冬の浅間山は真っ白であったが、その前に位置する前山(まえやま)はまったく雪がなく、荒涼とした姿で、対照的であった。浅間山の不気味さ、自然の恐ろしさを感じた瞬間でもあった。

 

(2009-2-1)

 

 

2月2日の朝、テレビのニュースで、浅間山が小規模噴火したという報道がありました。あの時に感じた不気味さは、このことだったのかも。日本列島は火山、地震の多い地域ということを改めて思い起こされました。

 

(2009-2-2 追記)

 

 

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春夏秋冬

はる・なつ・あき・ふゆ --- 相模原大野北公民館前

 

 

今年もあと僅かとなった。毎日、通勤の折、なんとなく見かける駅前の風景だが、季節の移り変わりは早いものである。

 

今年は、本当にいろんなことがあった。とてもひとことでは言い表せないくらい、人生の節目、節目にあたるさまざまなイベントに遭遇した。

 

いまマスコミなどで話題になっている介護の問題、就職の問題などどれをとっても、いまの我々の世代に降りかかってくる難問なのである。もちろん、中にはうまくいったこともあった。難問をマイナスと考えずに、プラス思考で乗り切りたいとおもっていたが、まだまだ上り坂の途中なのである。

 

峠を越えるには、もう少し時間が必要なのだとおもうこのごろである。

 

人生も季節と同じ、回り回ってまた繰り返す。

 

冬といえば、思い出す懐かしい曲がある。

 

ひとつは、「木枯らしの二人」、これは伊藤咲子がデビューしたときのおよそ三十年ほど前くらいの曲である。もちろん、歌唱力も抜群であったが、私はそれよりも曲そのものに惹かれていた。アップテンポの曲ではあるが、冬という季節特有のテーマを見事に表現したものだと感じていた。極端にいえば、それまでの曲とはまったく違った、心を惹きつける何かを感じていたのである。

 

もうひとつは、「さらばシベリア鉄道」、この曲は大滝詠一が作曲し、太田裕美がうたっていた。これもアップテンポの曲である。冬、寒い雪の風景をみごとに曲で表現していたものであった。

 

どちらの曲も、かなり昔のものなので、知らない方々もおられるかもしれない。あるいは、同じように時代を過ごしてこられた方がこの記事を読んでくださっているのかもしれない。けれど、もしご存じないのであれば、一度聴いてみられることをおすすめする。きっと、「冬のテーマ」の代表曲のひとつとして心に余韻を残すこととおもう。

 

さて、12月のはじめには、宵の空に、木星、金星、月が大接近するという天文現象があった。友人からそのことを聞いていたので、ぜひ見てみたいとおもったのだったが、あいにくの天候のため、残念ながら、観測することができなかった。数日たってようやく晴れた宵の空に、木星と金星が並んでいるのを見つけた。

 

都会ではなかなか星の観測はおもうようにはできないな、と感じた瞬間でもあった。

 

写真の中央付近で明るい方が金星、少し暗い方が木星。国道16号線の付近。

 

(2008-12-20)

 

 

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同級会、同窓会

冬の訪れとともに、忘年会の季節がやってきた。職場仲間での忘年会もいいのであるが、学生時代の同級生らと旧交を温める同級会もまたいいものである。

 

 

ことしは、初めて(?)関東地区で行うので、ぜひ参加をという案内のメールを、高校時代の同級生の幹事さんからいただいた。

 

おもえば、高校時代の同級会は、夏休みのあたりに、母校のある郷里のお店を借りて行うのが常であった。何十年もの時を経て再会した旧友の元気な姿をみて、語り合い、またその場から元気をもらうのであった。これまでに数回は出席したことがあり、そのたびに、新しい話をうかがうことができたのである。

 

今回の関東地区での同級会の開催は、とてもうれしかったが、残念ながら出席できなかった。家族のイベントと重なってしまったのである。もし次の機会があれば、今度は、ぜひ参加したいとおもっている。

 

同窓会は、同じ学校をともにした先輩・後輩・先生方が集う会で、こちらは私が知る限り毎年開催されているようである。残念ながら、こちらにはこれまでほとんど出席できなかった。仕事の調整や体調不良などで、幹事さんには本当に申し訳なくおもっている。

 

ところで、ウェブ上の同窓会なるものがあることをご存じだろうか。いくつかのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)があるようだが、私が良心的であると判断し、足跡を残しているものが、 「ゆびとま」 (ウェブ同窓会「この指とまれ」 http://www.yubitoma.or.jp )である。出身の学校を登録し、公開してもよい情報を記入すると、同級生・先輩・後輩で知っている人のプロファイルがいくつかでてきた。ここを起点にまた、旧交を温めたり、新たな出会いを楽しんでみるのもいいのかなとおもっている。

 

(2008-11-29)

 

 

上記の記事を書いた後に、「ゆびとま」の経営者が交替したようで、一時は縮小されたホームページとなっていました。が、しかし、現在では閉鎖されているらしく、つながりません。(リンク切れとなっています。) SNS としての質は良かっただけに、残念です。

 

(2010-1-31 追記)

 

 

  • 日記
秋の訪れ

暑さからも解放され、この頃は過ごしやすくなった。ことしは秋の気配が例年より早いような気がしている。先日、散歩していて、道ばたに咲いていた彼岸花を見つけた。

 

 

夜は、近くの草むらから虫の音が聞こえてくる。駅から自転車で帰宅途中、携帯プレイヤーで音楽を聴いているが、虫の音は音楽に重なるほど、音楽の一部ではないかと間違うほど大きい。

 

子どものころは、天体に興味があって、よく星を見ていた。最近は、空も東京近郊ではかすみ、星がよくみえないこともあって、ほとんど見る機会がない...。

 

いま、南西の空には、木星(ジュピター)が見える。星空のどの恒星よりも明るい。これをみて思い出したことがある。1994年にあった木星への彗星の衝突は、1000年に一度とのこと、悠久の時の流れの中に生きている自分たちを感じるひとときである。

 

(2008-10-5)

 

 

 

  • 日記
帰 省

このところ、田舎に帰省するのはほぼ一年に一回、夏のお盆の前後にお墓参りにいくくらいであり、なかなかいけなかった。高校卒業後、関東地方で生活の居を構え、暮らしていると、なかなか動けないものである。(いままで、仕事が多忙だったからでもある。と言い訳していた。)

 

ところで、帰省した折に必ず立ち寄るのが親戚の家だが、そこでは地域のいろんな話が話題として上がる。その中でも、集落の人口減、老人所帯の増加にどうしても話がいってしまう。

 

私の出身の集落では、私が小学校の時代には四十数戸あった所帯も、いまでは十七戸と聞く。集落の半数以上が減少している。また、四十歳代以下の若者のいる所帯はわずか四戸だとのこと。十七戸と少ない集落ではあるが、それにしてもここまで少ないとは。農山村の過疎化の現実がここにある。自省も込めてだが、かくいう我が家も減少した内に数えられるのだ。いま、宅地、墓地は別としても、農地が荒廃している。誰も手を出せない。まして、地すべり地帯の農地(田畑)であるので、境界すらわかりにくくなっている。いつかきちんと整理しなければいけない、そう思いながらなかなか手をつけられないでいる。地域活性化とよく言われるが、いったいどうしたらいいのか、具体的な計画と行動がよく見えないのだ。

 

 

ときたま、国会図書館に行く機会がある。時間のあるときに、「郷土誌」を借り出して眺めている。そこには、私が知らなかったふるさとの自然・地理・地勢・歴史が記されている。資料編には、私の祖父や曽祖父の名前も載っているのだ。

 

しかし、三十数年前と違い、交通機関も発達し、時間的にも距離的にも近くなってきたように感じる。

いま、北陸新幹線の工事中と聞く。これが完成すれば、東京から二時間あまりで上越に行ける。なので、もっともっと距離は縮まり、できることも増えてくるのではないかと、ひそかに期待している。

 

(2008-2-24)