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新幹線「あさま」の車窓から見た浅間山

先日、たまたま長野へ所用で出張した折りに、新幹線の車窓から浅間山をみた。

 

その日は、天候に恵まれていたせいなのか、空が澄んでおり、手元の携帯電話機のカメラでもすばらしいほどにきれいな写真が撮れた。

 

 

この写真の撮れるスポットは列車に乗っていると、そんなに多くない。

 

在来線(しなの鉄道線)だと、軽井沢から中軽井沢、信濃追分のちょっと手前くらい、
新幹線だと軽井沢から長野方面に動き出して数分後の、ごく短い時間帯なのである。

新幹線の「あさま」という名称は、この浅間山(あさまやま)に由来している。

 

ごぞんじのように、浅間山は活火山であり、活動中である。

 

先日の御嶽山の噴火のように、ここでも、噴火が懸念されているようだ。

 

長野新幹線が開通する以前の話だが、その当時は、まだ、上野始発の特急「あさま」が長野・直江津まで運行されていた。

 

軽井沢と、横川の駅の間は、日本でも有数の急勾配があり、この区間を運行するすべての列車は、電気機関車を2台、さらに連結させて運転していた。

 

電気機関車を連結したり、とりはずしたりするわずか10分程度の間に、横川駅で、「峠の釜めし」を買い求めたことをよく記憶している。

 

いまでは、この軽井沢と横川の間は廃線となってしまった。わずか20分ほどで新幹線は通り抜ける。

 

横川を過ぎたら、長いトンネルをいくつかとおり、あけると軽井沢の駅、そして浅間山が見えてくる、といった旅の趣きは、新幹線の開通で、また違ったものになった。

 

(2014-10-04)

 

 

 

「北しなの線」と「えちごトキめき鉄道線」

北陸新幹線の長野以北の開業まであと半年にせまった。

 

長野の先は、「飯山」、そして、「上越妙高」に停車することになっている。上越妙高駅は、JR信越本線の高田と新井の中間の脇野田駅の位置になる。

 

いままで帰省する際は、東京から長野までを新幹線で、その先を在来線(JR信越本線)に乗り継いでいくというケースが、筆者の場合には多かった。

 

北陸新幹線ができれば、最寄りの駅「上越妙高」まで新幹線利用ということになるだろう。

 

この夏に、帰省した折に、列車で新井から高田へ移動するときに見たが、北陸新幹線も開業に向けて準備されていた。

 

 

 

新幹線はほぼ上越妙高駅が完成しており、周辺では、工事や整備の作業をしていた。

 

ただ、来年開通だというのに、脇野田駅周辺には大きな建物としては、まだマンションが二棟できているだけだとか。

 

地域の活性化と発展につながればよいのだが、上越妙高駅が単なる通過駅にならないようにしていきたいものである。

 

その後、在来線はどうなるんだろうと、おもっていたが、やはり第三セクターに移管され、継続営業されるようだ。

 

先日、出張の途中、長野駅に下車し、確認してみたが、長野から妙高高原までは、しなの鉄道の「北しなの線」に、そして、妙高高原から直江津までは、「えちごトキめき鉄道線」にと名称がかわるらしい。

 

定期券の発売も、これらの「北しなの線」や「えちごトキめき鉄道線」にかかる区間での発売を段階的に中止しているそうだ。

 

きっと、いまよりも運賃は上がるんだろうな、とおもいながら、その掲示を見ていた。

 

 

 

しかし、長野から直江津に向かう列車の車窓は、トンネルが少なく、渓谷沿いを走るすばらしい眺め、そして、黒姫山や妙高山をはじめとする高原の遠景、田園風景の中、さらには、日本でもめずらしいスイッチバックのある二本木駅など、すばらしい眺めがいっぱいなので、時間のとれるときには、ゆっくり、「北しなの線」と「えちごトキめき鉄道線」の旅を楽しみたいものである。

 

 

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苗名滝、不動滝、妙高山などの名勝に恵まれた妙高高原は、季節を問わず大自然が楽しめる場所。多彩な温泉が点在しており、赤倉温泉の足湯や、白濁湯あふれる露天風呂「黄金の湯」をはじめさまざまな温泉施設がある。

 

苗名滝、不動滝、妙高山などの名勝に恵まれた妙高高原は、季節を問わず大自然が楽しめる場所。

多彩な温泉が点在しており、赤倉温泉の足湯や、白濁湯あふれる露天風呂「黄金の湯」をはじめさまざまな温泉施設がある。

 

(2014-09-23)

 

 

 

Windows8.1とLinux(Fedora14)のデュアルブートをR52で

WindowsXPのサポート終了というのが話題になっている。OSを交換しないで、XPをそのまま使い続けていると、セキュリティー上の問題が生じて危険だという。

 

私がふだん使っているPC(ThinkPad R52)も、以前書いたノートPCをデュアルブートし、無線LANで使用する方法にしたがって、デュアルブートできるようになっており、そのデュアルブートの片方としてWindowsXPが搭載してあるのだが、この際、OSを入れ換えようとおもい、XPからWindows8.1にしてみようと決めた。

 

そこで、いろいろと調査してみた。そして、OS入れ替えを行なったので、その経緯を記しておく。

 

1. 現在のPCでWindows8.1が動作するかどうか

 

まずは、いま、使っているPCで、Windows8.1が動作するか、という点である。

 

調べたところ、PCは、PAE対応でなければならないとのこと。PAEとは、物理アドレス拡張(Physical Address Extention)のことで、2GBより大きなメモリを扱うときに必要とのこと。この点は、WindowsXP上で、コンピュータのアイコンからプロパティを確認すると、物理アドレス拡張と表示があった。まずはクリア。

 

次に、グラフィックが対応しているか、ということだったが、これに関しては、よくわからないままであった。とにかく、やってみるしかない。

 

2. ハードディスクのフォーマットで問題発生

 

と、いうことで、Sofmapにて、Windows8.1の32ビットDSP版を買い求め、ハードディスクにクリアインストールすることとした。

 

現在、ThinkPad R52に搭載されているハードディスクはIDEタイプの2.5インチのハードディスク120GBである。

 

このIDEタイプの2.5インチのハードディスク120GBをふたつ準備した。ひとつは、中古のPCから取り外したもの、もうひとつはいま使っているPC(ThinkPad R52)に搭載されているものである。

 

いま使っているハードディスクは、データなどはそのまま残して、ひとまず、PC本体から取り外した。1ヶ所ねじを外せば、比較的簡単に取り外せる。

 

もうひとつの中古PCから取り外したハードディスクは、必要なデータを別のストレージにコピーし、バックアップした。その後、PC(ThinkPad R52)に取り付けた。

 

そして、ツールにて、ハードディスク全体をフォーマットし、パーティションを作成し直す予定だったが、ここで、対応できないとの表示がでてしまった。

 

今回使ったツールは、LifeBoat社のLBパーティションワークスCD起動版2である。

 

考えられる原因としては、中古PCから取り外したハードディスクの一部がLVMとよばれる方式でフォーマットされており、この部分のパーティションをいじることができなかったようだ。

 

LVM(logical volume manager)というのは,複数のハード・ディスクやパーティションにまたがった記憶領域を一つの論理的なディスクとして扱うことができるディスク管理機能のこと。以前、使っていた中古PCに、Linuxでパーティションを作成したときに、このLVM形式でハードディスクにパーティションが作成されたためらしい。

 

3. OSのインストールとデュアルブートの設定

 

そこで、まず、Linuxを最初にインストールすることにした。インストール時に、パーティションの変更などできるはずだからである。

 

ThinPad R52はけっこう古いタイプのもので、無線LANのついていないタイプなので、外付けのUSBタイプの無線LANアダプタ装着が必要であった。US-nano2-Mを使用した。ただ、この無線LANアダプタをLinux上で動かすためには、LinuxのKernelバージョンに制限があることがわかっているため、今回はFedora14をインストールした。

 

インストール時に、ハードディスクのパーティションは、Windows8.1の領域を残して、LinuxのBoot領域、Linux本体の領域、swap領域、データ領域をそれぞれ確保し、Fedora14(Linux)をインストールした。

 

次に、Windows8.1のCD-ROMから起動して、Windows8.1用に残したハードディスクの領域に、Windows8.1をインストールした。

WIndows8.1のインストール時に注意することは、最初に、プロダクトキーの入力を求められることだ。これがどこに書いてあるのかわからないと、インストールすることができない。また、入力する文字を一文字でも間違えると、やはりインストールできない。プロダクトキーは、パッケージの外側に、ものすごく小さな文字で印字してあるシールに書いてある。本当に、むしめがねを使わないと文字が見えない、読めないくらいだった。

 

ThinPad R52は、2GBのメモリを搭載してあるが、インストールには50分くらい必要だった。

 

さて、その次に、デュアルブートするために、ハードディスクの先頭領域にブートマネジャーをインストールした。使ったのはMBM(マルチブートマネジャー、Multi Boot Manager)である。これは比較的簡単に行なうことができた。

 

MBMは、あらかじめインターネットのサイトhttp://elm-chan.org/fsw/mbm/mbm.htmlから
ブータブルCDのイメージファイルをダウンロードした。そして、展開し、CD-Rに焼いておき、Linux(Fedora14)およびWindows8.1をインストールした後に、MBMをCD-Rから起動し、ハードディスクにインストールするのである。

 

これで、デュアルブートは基本的に行える状態になった。

 

4. 無線LAN(WiFi)でインターネットへ接続

 

次にインターネットへの接続である。

 

Windows8.1のほうは、WLANアダプタUS-nano2-Mを自動認識した。

 

Linux(Fedora14)のほうは、チップセットに合わせたドライバーをダウンロードし、インストールする必要があった。インストールするためには、Kernelのアップデートと、開発モジュールと開発ツールのインストールが必要であり、このときは一時的に有線LANケーブルを接続し、作業を行なった。

 

Kernelのアップデートは、

 

$ su
# yum update
# exit

 

また、開発モジュールと開発ツールのインストールは、

 

$ su
# yum install kernel-devel
# yum install gcc
# exit

 

とすればできる。

 

WLANアダプタUS-nano2-Mは、Realtek社のチップセットRTL8188CUS/RTL8192CUを用いている。これに適したLinux用のドライバーは8192C_USB_Linux_driver(kernel_2.6.18~2.6.35用32bit版)で、

 

・ドライバー(ソースコード)
・ドキュメント
・WPA用ソフト

 

が同梱されているものを使用した。例えば、
http://www.wireless-driver.com/realtek-rtl8188cusrtl8192cu-wireless-linux-driver-ver201212/#down_link
からダウンロードできる。

 

ドキュメントに従って、

 

$ make
$ su
# makeinstall

 

などと操作を行ない、無線LANのドライバーソフトをインストールできた。

 

5. 必要なアップデートと、必要なソフトのインストールと、データの復元

 

さて、いったん、無線LAN経由でインターネット接続ができてしまえば、後は、LANケーブルは不要になる。

 

それぞれ、Windows8.1上と、Linux上で、必要なアップデートと、必要なソフトのインストールを行ない、以前の状態に近いところまで、もっていくことができた。

 

この作業前にデータなどはそのまま残してひとまずPC本体から取り外したハードディスクをもう一度、今度は外付けとして接続し、テータはそこからPC本体のハードディスクにコピーした。

 

以上が、PC(ThinkPad R52)をWindows8.1とLinux(Fedora14)のデュアルブート、無線LAN接続にしたときの経緯である。

 

6. Windows8.1に入れ替えた後に発生した問題点と当面の対策

 

WindowsXPをWindows8.1に入れ替えすることは、それほどむずかしくはなかった。ただ、Windows8.1にしてみて、ひとつ困ったことは、使えないソフトがでてきてしまったことである。

 

WindowsXPでは正常に動作していたスキャナー(Canon FB330P)のソフトが、Windows8.1では動作しなくなった。このスキャナーのインターフェースはパラレルインターフェース(ECP)なのだが、もはや、Windows8.1ではこのインターフェースをサポートしないということなのか。メーカーのホームページにも、WindowsXPまでのものしかドライバーソフトがなかった。

 

いまどき、パラレルインターフェースを持っているPCはないのかもしれない.....。

 

とりあえず、スキャナーを使う必要があるときには、以前取り外したハードディスクをもう一度、PC本体に挿入し、つまり、ハードディスクを入れ替えて、WindowsXPを動作させることとした。もちろん、この場合は、無線LANアダプタは外して行なうことにする.....。

 

やってみると、おもいがけない問題がでてくるものである。LVMの対応、無線LANアダプタのバージョン制限、Windows8.1にして動かなくなったハードウェア、さて、次はどんな問題がでてくるのたろうか。

 

(2014-04-26)

 

  • 特集
ビタミンCが有効?驚きの放射線障害対策

先日、北野幸伯(きたのよしのり)さんが配信されている記事
http://archive.mag2.com/0001606599/index.html
の中に「放射線障害対策に関する情報」として気になる部分があったので、ここで紹介したい。

 

相武台脳神経外科の加藤貴弘先生のメールが、その中で紹介されていたが、放射線障害対策として、ビタミンCが有力なのだそうだ。

 

YouTubeで配信されている動画の説明(下記)を聞いてみた。

 

放射線が細胞膜を痛めて、活性酸素を発生させるが、この活性酸素の発生を効果的に抑制するのだそうだ。ビタミンCが有効だということは、いままで聞いたことがなかったし、マスコミで報道されてもいないようだ。だが、三年ほど前に、防衛医科大学の論文が報告されているという。

 

YouTubeで詳しい説明あり。(英語だが、日本語のナレーションあり)

 

→ ライナス・ポーリング博士からの贈り物( A Gift from Dr. Linus Pauling )

 

「ビタミンCは放射線障害から福島の被災者を守ることが科学的に証明されている。」('Vitamin C is scientifically proven to protect Fukushima victims from radiation effects')

 

 

加藤貴弘先生のブログ

 

→ 緊急報告:人類がすでに手にしている放射線障害

 

(2014-4-8)

 

 

  • 特集
「続・小説『坊っちやん』誕生秘話」

いまでも色褪せない文豪・夏目漱石の名作『坊っちやん』。無鉄砲ではあるが、正義感あふれる坊っちやんが、四国の松山の中学校に数学教師として赴任することになり、生徒や教員たちとの人間関係に真正面から挑んで行く。夏目漱石の作品の中でも、特に人々に愛されている名作である。

 

夏目漱石がこの小説で書きたかったことはなにか。なにを表現しようとしたのか。

 

我々の母校で教鞭をとられた後、新潟県内の高校の学校長、関根学園の校長などを歴任された勝山一義先生が、この研究を長年続けられ、2009年に「小説『坊っちやん』誕生秘話」として、『坊っちやん』のモデル論に一石を投ずる文学研究書を出版されたことは記憶に新しい。

 

このほど、その続編ともいえる「続・小説『坊っちやん』誕生秘話」が出版された。前作以降の研究過程で新たに発見された事実を、明治初期という時代背景とともに考察し、解き明かしていく、まさに謎解きの旅への誘いの書である。

 

勝山先生が関根学園校長として赴任されていたある日、早稲田の2年の時に「坊っちやんのモデルは関根萬司(関根学園の創始者)であり、それを漱石に紹介したのは新潟商業高校を出た堀川三四郎である」という本を読まれたということを突然思いだされたそうだ。新潟商業高校と関根学園の両校の校長を歴任して縁がある自分が解明しなければならないという天命を感じられたそうである。そして、前作の「小説『坊っちやん』誕生秘話」を出版されたのであった。

 

前作では、「坊っちやん」のモデルとされた関根萬司と堀川三四郎の足跡をたどり、さまざまな仮説をたて検証している。そこでは、

 

・夏目金之助は、堀川三四郎が角田の中学校に赴任する時から辞任した後まで世話をしていた
・松山に着いた「おれ」が「赤シャツ」と「山嵐」の対立の間で揺れ動く描写は、堀川三四郎が角田の中学校の紛争で経験したこと
・婆や「清」は佐藤亀世からの創出
・画学の吉川先生は視学官野田藤馬
・マドンナは石川絢(あや)(三四郎夫人)
・「うらなり」のモデルも三四郎
・物理学校を卒業するまでの「おれ」は、松山へ赴任した「おれ」の前任者
・「坊っちゃん」という題名は関根萬司のニックネーム

 

などが紹介されている。

 

その後、松山での「おれ」は新潟商業学校(現、新潟商業高校)を卒業して東大で漱石の教え子第一号となった堀川三四郎であったこと、「山嵐」は宮城県の角田中学校の教師で塩田弓吉という人物であったこと、が新たに判明したという。

 

続編ともいえる「続・小説『坊っちやん』誕生秘話」では、この塩田弓吉にひとつの焦点があてられている。

 

小説『坊っちやん」の主な登場人物は、ほとんど九割方、角田中学校およびその周辺に実在していたのに、「山嵐」のモデルが見当たらないのは不思議だ。小説の中でもっとも魅力的な人物だ。きっと教師の中に「山嵐」のモデルとなった人物がいるに違いない、と勝山先生は考証され、塩田弓吉教諭を発見したのである。

 

小説『坊っちやん」は、夏目漱石が教え子である堀川三四郎から聞いた日露戦争のころの宮城県角田中学校の話を、漱石自身が10年前の明治28年に一年間勤務した松山を舞台にして書いたもの、ということだが、夏目漱石がこの小説で書きたかった中心部分はなにか。そして、塩田弓吉の名が長年伏せられていた理由はなにか。漱石は、日露戦争前後の日本の情勢に深い憂慮を抱いていた。そして、それを小説で表現しようとしたのかもしれない。このあたりは、きっと知りたくなるに違いない。

 

続・小説『坊っちやん』誕生秘話 勝山一義

自費出版 [制作: たかだ越書林 (上越市昭和町2-25-29 / 025-524-5531) ]

(自費出版のため、書店では取り扱っていません。ご希望の方は、このサイトの管理者までメールでご連絡下さい。詳細を返信させていただきます。頒価1,500円です。)

この前作は、

小説『坊っちやん』誕生秘話 勝山一義

文芸社 (新宿区新宿1-10-1 / 03-5359-2299)

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小説『坊っちゃん』誕生秘話

 

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「小説『坊っちゃん』誕生秘話」


 

(追記)

著者の勝山一義先生のご家族の方が詳しい解説をされています。ご参考まで。

→ http://bocchanhiwa.jimdo.com/

→ http://katsuyama-shin.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html