年別:2009年
  • 体験
24年前の夢

「不思議な石ころ」という別名で知られる電子セラミック部品は、いまではテレビや携帯電話をはじめ、ほとんどの電化製品に使われるようになった。セラミックコンデンサやチップ抵抗、チップコイル(インダクタ)などの小さいものから、スピーカ、ブザーなどのある程度の大きいものまでいろいろある。

 

私が、セラミック(陶磁器)と意識して初めて出会ったのは、もう30年以上前のことであった。ある時、ある機会に、透明な数センチ角の薄い板を見せてもらったのだ。ガラス板ではないという。それは、透光性アルミナと呼ばれるもので、白い粉末を焼き固めてできたものであったと聞かされた。

 

それを機に、セラミックに興味をもったのである。そして、希望して、電子セラミックスの開発を行なっていた部署に異動させてもらい、そこで電子セラミックスの勉強をさせていただいたのであった。

 

そのときは、まだこれらの電子セラミック部品がどこに使われ、そして将来、どのような発展を遂げるかは、未知数であった。でも可能性を秘めた材料部品として、期待していた。

 

セラミックの作り方は、基本的には昔から伝わっている陶器、磁器と同じ原理で、細かい粉末を固めて焼くという方法に変わりはない。しかし、電子セラミックの場合は、それらのプロセスを細かく制御するのである。例えば、配合の割合、粉末の粒径、仮焼、脱脂、本焼などの数値制御をし、そして、そこに機能を付与するのである。

 

当時、私は、あるセラミック部品材料の開発に携わっていた。そこで、開発が進み、ある区切りがついたとき、米国の学会でそのことを報告したことがある。そのときに、あわせて作った将来のビジョン(ロードマップとでもいうのだろうか)に、「壁掛けテレビ」の時代がやってくると記した。24年前のことである。

 

まだそのときは、パソコンが8ビットから16ビットへの移り変わりの時代だった。もちろん、ディスプレイはあの重たいブラウン管が主流であった。当時は「壁掛けテレビ」などはまだ夢のようだった。でも、いつか時代は進歩し、実現するときがくるに違いないとおもっていたのである。

 

小さな電子セラミック部品の開発をすすめながら、世の中の移り変わりを見ていたことになる。それから、小さな画面の液晶がではじめ、やがてそれがカラーになっていく様子を目の当たりにした。ハンドヘルドコンビュータや、ラップトップコンピュータとよばれた製品があらわれた時代で、最初白黒だった画面がやがてカラーになって見やすくなった。

 

そして、いまでは、液晶やプラズマディスプレイで大型サイズの画面の薄型テレビができ、もちろん壁掛けにもできるようになってきた。24年前に描いた夢は現実となった。

 

これらの薄型テレビにおいては、電子セラミック部品は、主役ではない。脇役である。しかし、とても重要な役割を果たしていることに気づかされる。

 

今後、どのように発展していくのだろうか。そして、これら脇役の「不思議な石ころ」は、どのような活躍を見せてくれるのだろうか。期待している。

 

(2009-7-4)

 

 

Cartina UMと無線LAN (Fedora11編)

昨年末にDosparaの通販で購入したPrime Note Cartina UM だが、これまでFedora 9 をOSとして使用していた。(Fedora Core 9 とばかり思いこんでいたのだが、いつのまにか Core が取れていたことに気がついた。)しかし、ここ半年くらいの間に、バージョンがあがり、6月の初めにFedora 11がリリースされた。そこで、これを機会に、OS を Fedora 11 にすることにした。

 

作業は、ISOイメージファイルのダウンロードから始まり、USBメモリへのインストール、USBメモリから起動し、ハードディスクの特定領域へインストール、無線LANの設定の順で実施した。

 

今回は、CD-RまたはDVD-Rにデータを焼かないで、USBメモリを使ってインストールすることにした。というのは、8GBのUSBメモリは1800円という価格で購入できたからであった。(メモリの価格下落は、我々消費者にはありがたいが、製造メーカーにとってはたいへんなことであるとおもう。本題から外れるので、この話はまた別の機会にしよう。)

 

以下は、その記録である。

 

最初は、Fedora 9 からのバージョンアップを考えていたので、DVDのインストールイメージファイル(約3.8GB)をダウンロードした。

 

こうすれば、開発ツール類も同時にインストールできるのではないかとおもっていた(なにしろ、サイズが3.8GBもあるのだから。)のも理由のひとつであった。

 

USBメモリへのインストールには、live USB creator というソフトを使用した。これには、Windows版が用意されていたので、別のWindows PCで動作させた。

 

さて、USBメモリへのインストールは、問題なく完了したのだが、問題はこの後に発生した。USBメモリから起動すると、インストールの画面になった。そして、ハードディスクの領域の設定などを確認する画面になり、必要な情報を書き込もうとするのだが、途中でエラーになってしまった。何度か、試みたが、うまくいかなかった。そして、あきらめて、元々のFedora 9 が入れてあるハードディスクから立ち上げようとしたら、もうシステムが立ち上がらない状態になってしまっていた。

 

そこで、少し手間がかかるが、新規にインストールをすることにした。今度は、CDのインストールイメージファイル(約700MB)をダウンロードした。

やはり同じ方法で、改めてUSBメモリにインストールしたのである。

 

そして、 USBメモリから起動し、Fedora 11 をLive CD の形で動作させ、その画面上の「ハードディスクへのインストール」から、インストール作業を行うことによって、ようやく無事インストールできたのであった。

 

カーネルのアップデートといくつかの開発ツール類をインストールするために、有線LANに一時的に接続しなければならなかったのは、Fedora 9 のときと同じであった。

 

無線LANの設定は、以前に紹介したドライバ(下記)をインストールした後に、Fedora の Network Manager でAPなどの設定をするだけで、簡単に接続できるようになった。

手順は、 Fedora 9 の場合とほぼ同じ(以前、資料 ( Cartina_UM_WLAN_with_FC9.pdf ) で紹介した項目の(1)から(7)までは同じ)であるが、(8)の設定は、Network Manager を起動して実施したほうが簡単なようにおもう。

 

WLAN driverは、例えばこのサイトなどにある。

 

以下は、主な手順である。(詳細は、前回の資料 ( Cartina_UM_WLAN_with_FC9.pdf ) を参照してほしい。)

 

$ tar xvfz rtl8187se_linux_26.1023.1118.2008.tar.gz

$ cd rtl8187se_linux_26.1023.1118.2008

$ make

$ su

# make install

 

なぜ、CDイメージからのインストールがうまくできて、DVDイメージからのインストールができなかったのか、詳しくは検証できていない。しかし、考えるに、ディスクのフォーマット、特に、ルート(/ )ディレクトリ以下を実装するディスクが従来のext3ではなく、新規のものになっていたことが原因かもしれない。このあたりは、今後の課題としておきたい。

 

さて、Cartina UM だが、画面サイズが 8.9インチであり、今のネットブックの主流のサイズが 10.1インチとなってきつつあることから、ちょっと小さいなと思うときもある。でも、十分コンパクトで使い勝手は良い。

 

アップデートは、yum update でできるが、カーネルのアップデートがもしも含まれた場合は、一度、アップデート後にPCを再起動すると、無線LANに接続しなくなったときがある。このときは、

 

$ cd rtl8187se_linux_26.1023.1118.2008

$ su

# make uninstall

# make install

 

を実行し、もう一度、PCの再起動を行うことによって、無線LANに接続できるようになった。

 

(2009-6-27)

 

 

 

迷惑メールのその後(2)

迷惑メール、スパムメールという類の不要な電子メールについては、プロバイダのスパムブロックサービスを利用している。

 

スパムメール・迷惑メールと自動的に判定されたものは、プロバイダの迷惑メールボックス受信箱に送られることになっている。一週間以内に処理しないと自動的に削除される。一週間に一度見に行っているのだが、最近、これらスパムメールの数が以前よりも増えてきているような気がして、数えてみることにした。

 

そして、カウントした結果を見ておどろいた。あくまでも私の場合であるが、5月のある一週間で受信箱に入った正規の受信メールは約22%であった。つまり約78%のメールは、スパムメールとして認識され、プロバイダの迷惑メールボックス受信箱に格納されていた。

 

その中には、自分のメールアドレスから自分あてに出したようなものも3割ほど含まれていた。もちろんこのような事実はないので、誰かが発信者を詐称しているに違いない。

 

また、ぼちぼちであるが、迷惑メールボックスに入らずにすり抜けて通常の受信箱に入る迷惑メールが出てきた。そこには'cn'のドメインが見えた。

 

あまり気にしないで、またしばらく様子を見ることにした。しかし、それにしてもやっかいである。

 

(2009-5-30)

 

 

 

神田神保町・ニコライ堂・秋葉原

久しぶりに都営地下鉄三田線の神保町駅を下車し、あたりを散策してみた。

 

すずらん通りと靖国通りの間の、この界隈は、いわゆる古書店が軒を連ねている地区である。私は、本が好きで、このような古書店巡りは楽しみのひとつでもある。ときどき、おもしろい本を見つけては、つい手に入れてしまう。5月連休中でもあったので、外国人の方もけっこう目にした。

 

神田すずらん通りの入り口

 

街は、新しいビルなどが目立つようになってはきたが、それでも二十数年ほど前に目にした光景とさほど変わってはいないように思える。現代の古本屋とはまたちょっと異なった、専門色のある古書店街だとおもうのである。

 

神田すずらん通り(古書店街)から、徒歩で十分程度北東に歩くと、ニコライ堂のそばにいくことができる。

 

ニコライ堂

 

ニコライ堂は、重要文化財にも指定されている、明治24年にできたヨーロッパ風の教会であり、日本で最大のビザンチン式建造物であるといわれている。(正式には「日本ハリストス正教会復活大聖堂」と言うらしく、通称である「ニコライ堂」は伝導に献身した宣教師ニコライから来ているとのこと。ちなみにハリストスはキリストのことである。)

 

入り口のところにあるアーチには、ロシア語で、
「СЛАВА В ВЫШНИХ БОГУ」(最高の神に光栄あれ)と書かれている(注)。設計者はロシア工科大学教授のシチュールポフ博士だそうだ。

でも、すぐそばには高層ビルがあり、ちょっと不思議な空間である。

 

ニコライ堂の入り口のアーチ

СЛАВА В ВЫШНИХ БОГУ

 

ニコライ堂からまもなく、JRお茶の水駅前に出る。ここは、神田川に面しており、近くの橋は、「聖橋」(ひじりばし)と呼ばれている。この橋をわたった向こう側には、もと昌平坂学問所があった湯島聖堂があり、ニコライ聖堂との二つの聖堂に挟まれているので、聖橋という名前がついたといわれている。

 

神田川に沿って坂を下る

 

橋をわたらずに、そのまま東に進み、坂を下っていくと万世橋にたどりつく。ここはいわゆる秋葉原電気街の入り口でもある。

電気街は、とにかく、人通りの多いこと。たまたま行ったのが5月連休中でもあったためか、やたらと人通りの多さが目につく。外国人も多いらしく中国語を話している人をけっこう目にし、耳にした。

携帯電話の宣伝は、ひところの激しさはなくなってきたようだ。それでも、大型家電店が閉店セールをやっていた。ゲームを扱うお店も人だかりができていた。喫茶店・カフェもビラ配りが目立ち、「メイド喫茶」全盛の感じてあった。「あきばうさぎ神社」なるものも。

 

神社? 中はカフェのようだが.......。

 

東京・神田の界隈は、まだまだおもしろいところがたくさんある。歩き疲れてしまうかもしれないが、また、時間をつくって行ってみたいものだ。

 

(2009-5-9)

 

 

(注)

 

「Слава в вышних Богу, и на земле мир, в человеках благоволение!」(最高の神に光栄を、地球に平和を、人々に親切(愛)を) という讃美歌(聖書ルカ伝)の一節らしい。

 

 

 

  • 音楽
33年前の「世界民謡研究会」 Best 100

世界民謡研究会という名のサークルが、当時の都立大のB類(*)にあった。たしか、「せみんけん」とよばれていた。東京都立大学は、昼夜開講制(*)で、主として夜間の授業を受講する学生たちが、B類と呼ばれており、勤労と学問の傍ら、いくつかのサークル活動が行われていた。

 

最近、自宅の書類を整理していたら、当時の大学祭で配布された「28th メポタン祭 世界民謡研究会 Best 100」なるガリ版刷りの冊子が出てきた。見てみたら、懐かしい曲名がたくさんでていた。

 

そこで、ここに、タイトルのみ掲載しておく。

 

1 COUNTRY ROADS (ふるさとへ帰りたい)

2 バラはあこがれ

3 青い世界

4 帰らざる日のために

5 とびたとう

6 遠い世界に

7 青春

8 自由なる大地へ

9 友よ(by 岡林信康)

10 戦争を知らない子供たち

11 友よ(by いずみたく)

12 太陽がくれた季節

13 君の祖国を

14 今・今・今

15 ふれあい

16 世界は二人のために

17 何のために

18 若者たち

19 悲しくてやりきれない

20 戦争は知らない

21 青年は荒野をめざす

22 翼をください

23 The Cruel War Is Raging

24 旅人よ

25 蒼い星くず

26 君といつまでも

27 夜空を仰いで

28 白いサンゴ礁

29 君に会いたい

30 夕日が泣いている

31 いつまでもいつまでも

32 長い髪の少女

33 バラ色の雲

34 モナリザの微笑

35 エメラルドの伝説

36 僕の胸でおやすみ

37 なごり雪

38 アビーロードの街

39 この季節が変われば

40 あの人の手紙

41 妹

42 眼をとじて

43 僕にきかせて下さい

44 殺風景

45 無縁坂

46 サボテンの花

47 ルージュの伝言

48 縁切寺

49 この手のひらに愛を

50 結婚するって本当ですか

51 春うらら

52 君は悲しみの

53 雨だれ

54 20才のめぐり逢い

55 竹田の子守唄

56 さらば青春

57 いつのまにか少女は

58 揺れるまなざし

58 人生が二度あれば

59 家へお帰り

60 FUN

61 白い一日

62 春の風が吹いてたら

63 マークII

64 どうしてこんなに悲しいんだろう

65 ともだち

66 なのにあなたは京都へ行くの

67 あのすばらしい愛をもう一度

68 時代

69 真夜中のギター

70 ささやかなこの人生

71 あなただけを

72 霧雨の朝突然に

72 遠くで汽笛を聞きながら

73 目覚めた時には晴れていた

74 最後の一葉

75 さようなら

76 涙は明日に

77 今日も夢みる

78 私の子供たちへ

79 出発(たびだち)の歌

80 ふりむかないで

81 あなたのすべてを

82 星に祈りを

83 枯葉の街

84 想い出のGreen Grass

85 霧の摩周湖

86 北の宿から

87 AND I LOVE HER

88 山口さんちのツトム君

89 全世界民主青年歌

90 ベンセレーモス

91 インターナショナル

92 国際学連の歌

93 心はいつも夜明けだ

94 がんばろう

95 心さわぐ青春のうた

96 マイ・ウェイ

97 ここは故郷

98 今日の日はさようなら

99 青い空は

100 また逢う日まで

 

この冊子は、1976年10月31日 世界民謡研究会 発行 となっている。(番号が二カ所重複しているのは、オリジナルに忠実に記したためである。) いまでいうところのJPOPに相当するジャンルだろうか。当時のフォークソングをはじめ、懐かしい曲名がたくさんでてきた。若い世代の方々が当時の世相を知るひとつの資料になるかもしれない。

 

 

(注)

 

B類、および昼夜開講制については、「東京都立大学 履修の手引 昭和47年度」の中で、次のように説明されているので、その部分を引用させていただく。

 

「従来、東京都在住の勤労青年に充実した大学教育を行うため昼間ならびに夜間いずれも自由に受講できる昼夜通しの制度をとってきたが、開学以来8年の経験のもとにこれを検討した結果、昭和32年4月から第1部(昼間授業の課程)と第2部(夜間授業の課程)の2課程に分けるとともに昼夜にわたる受講の利点は失われることのないようにし、もって一層教育効果の徹底をはかった。

 

両課程においては教授も授業も変りはなく、一定の限度までは特定の授業を除いて、昼間または夜間の課程で履修できるようになっており、勤労者であると否とにかかわらず同等の学力を持つ卒業生を社会におくることを期している。

 

この特質が減殺されないようにするため、学内では第1部の学生をA類学生、第2部の学生をB類学生ということにしている。

 

ただ、修業年限が夜間課程は5年となっているが、これは昼夜同等の教育を行なうには必要なことである。

 

この制度においては、他大学と異なって、入学試験を第1部、第2部と区別せずに大学一本で行なっており、また両者同等の学力あるものとし卒業時にも差別を設けないようにしている。」

 

(2009-4-26)