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カテゴリー:散策・旅行
久しぶりの北海道巡り - 旭川

最近では、なかなか遠出するチャンスがなかったのだが、先日、家族で北海道旅行にでかけてきた。

 

三月の中旬のことである。

 

羽田空港から朝の便に乗り、十時ごろに旭川空港に到着。それから、路線バスで、かの有名な旭山動物園をめざした。

 

当日の天候は、雪。それほど寒くはなかったものの、それでも氷点下10度くらいだったろうか。

 

旭川といえば、旭山動物園は有名だとのことだが、なかなか行くチャンスがなかった。

 

十五年ほど前に、仕事で、羽田と旭川は何度も日帰りで往復したことがあったが、時間がなかったのか、余裕がなかったのか、その当時は、行くことかなわずだった。

 

そのうちに、テレビでも、旭山動物園のことがとりあげられるようになり、そんなに有名ならば、一度は行ってみたいな、とおもっていた。

 

けっこう観光客も多く、それなりに混んではいたが、平日だったので、比較的ゆっくりと見てまわることができた。

 

 

 

 

ペンギンの散歩、これをわずか1メートルの至近距離で見られた。シロクマも、アザラシも、キタキツネも、間近で見てきた。

 

ほほ゛回る順序が決まっていて、だいたい二時間半くらいで、おもなところは見て回ることができた。

 

 

 

 

少し、早めに動物園を後にして、市内へとバスでむかう。

 

昼食は、これも有名な旭川ラーメン、梅光軒(ばいこうけん)のラーメンを駅前のとおりにあるお店でいただいた。

 

このお店は、小さいながらも、有名人が多くおとずれるようで、著名なタレントや文化人のサイン入り色紙が、壁面を飾っていた。

 

実は、梅光軒は、何か所かにあり、そのうちのひとつが、かつて、私が仕事で出入りしていた工場のすぐ裏手にあって、よくお昼時に食事をしに行ったものだった。その味とまったく同じでとてもおいしいものだった。

 

そして、当日の宿である札幌へと、列車に乗るべく、JR旭川駅へ向かったのだった。

 

 

JR旭川駅は、駅前が工事中で、昔のおもかげはほとんど失われていた。

 

十五年も経っているのだから、変化はしかたがない。

 

そんなことをおもいながら、北海道旅行の第1日めをスタートしたのであった。

 

 

梅光軒(ばいこうけん)
http://www.baikohken.com

 

(2013-07-21)

 

 

 

やすらぎ荘での小学校の同級会

先日、小学校の同級会が、やすらぎ荘で行われた。

 

やすらぎ荘とは、新潟県上越市板倉区にある温泉宿泊施設である。同級会がここで行われるとのことで、宿泊もできるよ、ということだったので、ゆっくりしたいとおもい、それならばと、はじめて宿泊したのであった。

 

六月の中旬であり、周囲は緑一色の中、たまたま雨も降っていたが、紫陽花の花が咲いており、幻想的な風景であった。

 

宴会は、とても楽しく、懐かしい面々との再会で話に花が咲いた。食事も逸品。酒は、地元、妙高猿橋の鮎政宗、そして、妙高窪松原の千代の光、と。

 

朝ご飯も食堂でいただいたが、お米は、地元の農家で作付けし収穫した「はさかけ米」のこしひかりとのこと。味わいがあり、とてもおいしい。

 

温泉も二種類の泉質が楽しめるとのこと。

 

実際、昔話などに花が咲いて、時間の経つのも忘れてしまい、ゆっくり温泉を味わうには、時間が少なかった。

 

次にくるときは、もっとゆっくり楽しもうと、そこを後にしたのだった。

 

信越トレイルという散策路が完成し、旅を楽しむ人たちの憩いの場になっているとも聞く。

 

JR新井駅からバスがでているそうだが、予約しないと運行しないらしいので、今回は、幹事さんの車で迎えていただいた。感謝。

 

 

やすらぎ荘

http://yasuragisou.com

 

小学校の同級会  (閲覧希望は管理者まで)

https://fp46.net/alumni/y1965/

 

鮎正宗酒造

https://ayumasamune.com

 

千代の光酒造

http://www.chiyonohikari.com/

 

(2013-07-20)

 

 

 

北陸新幹線と「ほくほく線」

関東地方から新潟県の上越・妙高方面へは、鉄道でいくとしたら、よく利用されるルートとしては、主に2とおりの行き方がある。ひとつは、東京から長野まで新幹線、そこから在来線の信越本線に乗り換えるルート、もうひとつは、東京から越後湯沢まで新幹線、そこから直江津までほくほく線経由で特急でいくルートである。

 

ことしの8月のある一日のことであるが、上越方面までいってきた。ふだんは、前者のルートで行くのがほとんどなのだが、今回は、駅でレンタカーを借りるということもあって、後者のルートで廻ったのであった。

 

自宅を出発して、新幹線と特急を乗り継いで行ったのだが、東京から直江津までは、いまでは、およそ2時間ほどでいけるようになった。直江津は、レンタカーの起点であって、そこからあちこちを廻るためであった。

 

どこもそうであろうが、都会と違って、田舎では、列車の線路から離れると、頼みの交通機関は、車かバスとなる。バスは、もともと本数が少ないため、時間的にはなかなか思い通りにならない。動き廻るためには、車が便利なものとなる。

 

今回の旅は、お墓参りが主目的であった。

新幹線で東京から越後湯沢までいき、そこで、「ほくほく線」の特急に乗り換える。

 

ほくほく線に乗り入れる特急「はくたか」、越後湯沢駅にて。

 

ほくほく線は、私がまだ、高校生のころは、なかった。だが、当時は、基礎工事が既に行われていたのだ。そして橋脚の工事中の跡か残っていた。将来、ここに鉄道がとおるよ、と聞かされたものであった。

 

その昔、直江津の隣の黒井と浦川原との間に。「頚城鉄道」という軽便鉄道が運行されていたと聞いている。それが廃線となり、バスに替わったわけであるが、そのほくほく線の基礎工事は、ちょうど頚城鉄道の廃線跡に沿って、建設されていた。

 

だが、予算の関係からなのか、工事は遅々として進まず、かなり長い間、工事の途中段階で放置されていたようだ。

 

やがて、当時の国鉄が分割・民営化され、同時に第三セクターなる事業母体があらわれ、「ほくほく線」は建設が再開されたようであった。

 

「ほくほく線」のルートは、単線であるが、北陸地方への時間を短縮させるのに好都合なものである。このルートが開通するまでは、長岡乗り換えの信越線経由というのが、一般的だった。だが、「ほくほく線」が゛開通してからは、ここに特急を走らせることにより、一気に時間短縮がはかれるようになったのだ。

 

今回、直江津まで行くのに、越後湯沢で新幹線からほくほく線に乗り換えたのだが、トンネルが多いことには、閉口した。特急にのると、越後湯沢と直江津の間はノンストップなので、ものすごいスピードでトンネル内を通過していく。気圧の変化が激しいので、耳がいたくなってしまったのであった。

 

浦川原を過ぎたあたりからは、田園風景がひろがる。見慣れた田舎の景色となった。

 

さて、直江津で、レンタカーを借りて、南に進路をとった。

途中、工事中である北陸新幹線を横切った。

 

北陸新幹線の高架。上越市内、国道18号線バイパスより。

 

北陸新幹線は、2016年の開業をめざしているとのことであるが、もうかなりの部分が完成しており、ことし2010年には、新潟県内の部分にレールを敷設する工事に入るとのことを聞いた。高架は、ほぼ完成しており、連続しているとのことであった。

 

もし、北陸新幹線が完成すると、東京から乗り換えなしで、新潟県内に入れることになる。そうすれば、もっと便利になることだろう。

 

ひとつの心配は、新潟県内にできる駅は、新幹線の通過駅となってしまわないか、ということである。せっかく、できるのだから、十分な本数を停車させてほしい、そして、上越・妙高の地域の活性化に寄与してほしいとおもう。

 

車で移動しながら、北陸新幹線を横目に見て、そんなようなことを考えていた。

 

(2010-8-18)

 

開高健記念館と湘南の海

JRの茅ヶ崎駅から約2km、海岸方面にむかったところに、開高健(かいこうたけし)の記念館がある。作家であった開高健がかつて住み活動の拠点としていた邸宅が記念館として開設されているのである。先日、友人とここを見学する機会を得た。

 

開高健記念館

 

悠々として急げ

 

開高健といえば、あのサントリーのウィスキーのコマーシャルを覚えておられる方も多いのではなかろうか。経歴をみると、60-70年当時にはベ平漣(ベトナムに平和を、市民連合)で活動を支援されていたとある。一方で、当時の南ベトナム政府軍に従軍し、ベトナム戦争の真実を伝えようとしたドキュメントは心に迫るものがある。

 

入ってきて人生、出て行って死

 

実は、このようなことを知ったのも、今回、記念館を訪問してみて、初めて知ったのである。名前だけは聞いて知っていたが、このような内面の世界にまで踏み込んでいろいろな展示物を拝見させていただき、その思いを感じたのだった。

 

館内を訪れてまず短いビデオを見せていただいた。それから、展示物をゆっくりと拝見させていただき、趣味や嗜好の多様さに驚き感銘を受けたのだった。また、アラスカでの魚釣りや鉄道の紀行文も、その原稿や剥製品などが展示されている。

 

書斎として使用されていた部屋の脇にびっくりするくらいの意外な展示品があった。奴隷や囚人が足につける鉄の鎖とボールまでもコレクションとしてあった。おそらく、戦場での経験がものすごいインパクトを彼に与えたのは想像に難くない。

 

リーフレット THE KAIKO TAKESHI HOUSE Chigasaki

 

さて、この記念館は菱沼海岸(ひしぬまかいがん)に近い。開高健記念館から海岸方面へは五分も歩けばすぐ出られる。真正面の海の向こうに烏帽子岩(えぼしいわ)が見える。江ノ島も見える。湘南の海岸なのでサーファーたちに出会えることも多い。

 

菱沼海岸より烏帽子岩を見る

 

(2010-4-29)

 

 

■ 茅ヶ崎市 開高健記念館 ホームページ

 

(PC)

http://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/bunka/kinenkan/index.html

 

(携帯)

http://mobile.city.chigasaki.kanagawa.jp/

 

神田神保町・ニコライ堂・秋葉原

久しぶりに都営地下鉄三田線の神保町駅を下車し、あたりを散策してみた。

 

すずらん通りと靖国通りの間の、この界隈は、いわゆる古書店が軒を連ねている地区である。私は、本が好きで、このような古書店巡りは楽しみのひとつでもある。ときどき、おもしろい本を見つけては、つい手に入れてしまう。5月連休中でもあったので、外国人の方もけっこう目にした。

 

神田すずらん通りの入り口

 

街は、新しいビルなどが目立つようになってはきたが、それでも二十数年ほど前に目にした光景とさほど変わってはいないように思える。現代の古本屋とはまたちょっと異なった、専門色のある古書店街だとおもうのである。

 

神田すずらん通り(古書店街)から、徒歩で十分程度北東に歩くと、ニコライ堂のそばにいくことができる。

 

ニコライ堂

 

ニコライ堂は、重要文化財にも指定されている、明治24年にできたヨーロッパ風の教会であり、日本で最大のビザンチン式建造物であるといわれている。(正式には「日本ハリストス正教会復活大聖堂」と言うらしく、通称である「ニコライ堂」は伝導に献身した宣教師ニコライから来ているとのこと。ちなみにハリストスはキリストのことである。)

 

入り口のところにあるアーチには、ロシア語で、
「СЛАВА В ВЫШНИХ БОГУ」(最高の神に光栄あれ)と書かれている(注)。設計者はロシア工科大学教授のシチュールポフ博士だそうだ。

でも、すぐそばには高層ビルがあり、ちょっと不思議な空間である。

 

ニコライ堂の入り口のアーチ

СЛАВА В ВЫШНИХ БОГУ

 

ニコライ堂からまもなく、JRお茶の水駅前に出る。ここは、神田川に面しており、近くの橋は、「聖橋」(ひじりばし)と呼ばれている。この橋をわたった向こう側には、もと昌平坂学問所があった湯島聖堂があり、ニコライ聖堂との二つの聖堂に挟まれているので、聖橋という名前がついたといわれている。

 

神田川に沿って坂を下る

 

橋をわたらずに、そのまま東に進み、坂を下っていくと万世橋にたどりつく。ここはいわゆる秋葉原電気街の入り口でもある。

電気街は、とにかく、人通りの多いこと。たまたま行ったのが5月連休中でもあったためか、やたらと人通りの多さが目につく。外国人も多いらしく中国語を話している人をけっこう目にし、耳にした。

携帯電話の宣伝は、ひところの激しさはなくなってきたようだ。それでも、大型家電店が閉店セールをやっていた。ゲームを扱うお店も人だかりができていた。喫茶店・カフェもビラ配りが目立ち、「メイド喫茶」全盛の感じてあった。「あきばうさぎ神社」なるものも。

 

神社? 中はカフェのようだが.......。

 

東京・神田の界隈は、まだまだおもしろいところがたくさんある。歩き疲れてしまうかもしれないが、また、時間をつくって行ってみたいものだ。

 

(2009-5-9)

 

 

(注)

 

「Слава в вышних Богу, и на земле мир, в человеках благоволение!」(最高の神に光栄を、地球に平和を、人々に親切(愛)を) という讃美歌(聖書ルカ伝)の一節らしい。