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「A for Real」--- 2年半ぶりのミュージシャンとの再会

  • 音楽
「A for Real」--- 2年半ぶりのミュージシャンとの再会

特徴のあるうたごえだった。ポップ調の楽曲ではあったが、なぜか心に響くものがあった。

 

そのミュージシャンに初めて出会ったのは、2年半前のクリスマスの時期だった。だが、それから、しばらくは、そのことを忘れていた。

 

先日、9月のある日の夜、所用でM駅の駅前をとおりかかったとき、一人の女性ボーカリストが路上ライブをしていた。しばらく立ち止まって数曲を聴いていた。そのうたごえは以前に聴いたことのある「A for Real」のmizuki(みずっきぃ)だった。

 

 

以前、このような記事を書いたことがある。

 

→ 「街角で聴いた歌ごえ」

 

あの2年半前と変わらないしっかりした歌声だった。「未完成な果実」など、懐かしいものだった。

 

この2年の間に、CDアルバムを2回出しているという。その最新作を買い求めた。自宅に帰って聴いてみたが、これらの曲もなかなかいいものである。内容は、つぎのとおり。

 

01_故郷II
02_blue_red
03_夜の夜行列車トレイン
04_MIDNIGHT_VISION_2
05_living_on_planet...
06_宇宙居酒屋「とり八」

 

 

「A for Real」は、mizukiとnaokiのユニットで、いただいたパンフレットによると、詩・曲ともに遊び心とオリジナリティを追求した楽曲を多数制作しており、それらをもとに、路上ライブを、都内・都内近郊にて行なっているという。

 

また、いつか、どこかで会えるかもしれない。今後、ますますの活躍を期待したい。

 

 

(P.S.)

 

一作めの「未完成な果実」などは、『real to heavy real』というミニ・アルバムにおさめられているが、いまでは、次のサイトで試聴することができる。

 

→ https://myspace.com/a_for_real

 

二作めのアルバムは、『Hyper Meltdown』で、ユーチューブに全曲が紹介されている。

 

 

ちなみに、ホームページは、

 

 → 「A for Real」のホームページ
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=A_for_Real&P=0

 

 → みずっきぃのホームページ [魔法のiらんど] http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=mizu0516

 

であり、携帯電話でもアクセス可能となっている。

 

(2012-09-23)

 

 

 

 

U160DXでFedora17とWindows7をデュアルブートで使用するPCの設定

U160DXでFedora17とWindows7をデュアルブートで使用するPCの設定

 

1. はじめに

 

これまで使用していたネットブックのCartina UM が、どうも使いずらくなった。発端は、ディスプレイの開閉でふたつある蝶番のうち、ひとつが破損したことにあった。止めてあるネジが緩み、プラスチックの一部が破損したのである。

 

いちどは裏蓋のネジを外して、内部の様子を見てみたが、とても直せそうにない。しかたなく、ネジを締め直して、もとにもどしたものの、今度は無線LANの受信感度がどうも良くない。基板に損傷が起きたのではないかとおもわれたのである。また、冷却ファンのモーターが異音を発するようになった。

 

いま入れてあるOSは、Fedora11で、PC自体はおよそ三年前に購入したものであるが、まだまだ使えるとおもいながら、使うたびに、無線LANの感度に悩まされるようになった。

 

そこで、この際、新機種に乗り換えることにした。いろいろと探してみたところ、秋葉原の家電量販店で、たまたま、MSI社のU160DXという機種のネットブックがアウトレットで23,800円で売られているのを見つけた。そして、直ぐに購入したのであった。

 

ここでは、Cartina UM からMSI U160DXにネットブックPCの乗り換え(データ移行)を行い、デュアルブートの環境を構築したので、それについて書いてみようとおもう。

 

2. MSI社のネットブックU160DX

 

U160DXは、Intel Atom N455というCPUでハードディスク容量が320GBのものだった。メモリは、1GBだったが、2GBまで増やせるということで、2GBのDDR3のタイプも同時に購入した。

 

そして、OSは、もともとインストールされていたのが、Windows7 Starter だったが、LinuxのFedoraとデュアルブートさせようと考えた。どうも、Linuxのほうが使いやすいからであった。

 

まずは、ハードディスクを交換しようと考えたが、U160DXでは、なかなか簡単にいきそうもなかったので、今回は見送った。

メモリの交換は簡単にできた。裏蓋の一部を外して、搭載されている1GBのメモリを2GBのメモリと入れ替えるだけであった。メモリのスロットは一個しかないので、メモリ増設は交換のみである。

 

3. ハードディスクの構成とデュアルブートのための準備

 

次に、ハードディスクの中味を調査した。このために、USBタイプのDVD/CDマルチドライブを外付けし、このドライブから、ツールを起動させた。使ったツールは、LifeBoat社の「LBパーティションワークスCD起動版2」である。

 

U160DXを購入したときの状態では、ハードティスクは次の4つのパーティションに区分されていた。

 

1. リカバリ用のデイスク領域(RCVR)-約4GB (NTFS)

2. Windows7の起動システム領域(SYSTEM)-約100MB (NTFS)

3. Windows7の本体、システム(OS_Install)-約170GB (NTFS)

4. データ領域(DATA)-約120GB (NTFS)

 

おおよそ、こんな感じであった。いずれも基本パーティションとなっている。そして、通常の使い方では、スイッチを入れると自動的に2の状態を経由し、3の状態のWindows7 Starterが立ち上がるしくみになっている。

 

さて、いろいろと試行錯誤した結果、上記の2-4の領域をフォーマットし、サイズも変更することとした。Windowsはリカバリ領域に入っているWindows7 Starterをそのまま再インストールして使用することとし、LinuxはFedoraの最新ディストリビューションであるFedora17をインストールすることにした。また、PCの起動には、「マルチブートマネジャー MBM (Multi Boot Manager)」を用いることとした。

 

最初に、MBMのシステムのISOファイルをダウンロードし、CD-Rを作成した。


http://elm-chan.org/fsw/mbm/mbm039.iso.gz

 

その次に、 Fedora17 のISOファイル(約680MB)をダウンロードし、CD-Rを作成した。

→ 
http://download.fedoraproject.org/pub/fedora/linux/releases/17/Live/x86_64/Fedora-17-x86_64-Live-Desktop.iso

 

上記のパーティション作成ツールを使い、あらかじめ、2、3の領域を削除し、4のデータ領域のサイズを変更した後に、削除した領域をほぼ半分ずつに分けて、Linux以外の領域をフォーマットした。

 

次に、Windows7のインストールを領域1を起動させて行い、領域2にWindows7の本体システムをインストールした。これは、MBMを起動させて、領域1を起動することによってできる。

さらに、次に、未フォーマットの領域3にFedora17をディスクからインストールした。もちろん、この操作は、外付けのドライブから起動させての操作である。この場合の注意点として、Fedora17の起動に必要なブートローダー(GRUB)のインストール位置は、論理パーティションである領域3の先頭にすべきであって、ハードディスクの先頭にはしないことである。ハードディスクの先頭にインストールしてしまうと、MBMが使えなくなるという不都合が起きる可能性があるためである。

 

そして、MBMを外付けDVD/CDディスクドライブから起動し、ハードディスクへのインストールを行う。

 

 

最終的に、ハードディスクの中は、次のようなパーティションができる。

 

1. リカバリ用のデイスク領域(RCVR)-約4GB (ここは変更しない) (NTFS)

2. Windows7の本体、システム(OS_Install)-約80GB (NTFS)

3. 論理ドライブ -約80GB (LVM)

-- 3-1. Fedora17のBOOT領域 (EXT3)

-- 3-2. Fedora17の本体 (LVM)

-- 3-3. SWAP領域 (SWAP)

4. データ領域(DATA)-約120GB (FAT32)

 

データ領域は、Windows7とFedora17の両方から参照できるように、フォーマットはFAT32形式とした。

 

 

この構成で、起動にMBMを使って、デュアルブートの環境ができたのであった。上記の「2」と「3-1」を起動時に選択する。

 

ひとまず、現在はこの環境で問題なく動作できている。

 

4. 無線LANのドライバ

 

今回の移行で、一番、懸念した点は、Linuxで無線LANが使えるかどうかであった。しかし、Fedora17には標準でドライバが装備されているらしく、特にわざわざドライバをインストールしなくても無線LANが認識された。Windows7では、もちろんその問題はなかったので、これで、Windows/Linuxどちらの環境でも無線LANが使えるということができることとなった。

 

5. 最後に

 

データに関しては、バックアップしておいた外付けハードディスクから、内蔵ハードディスクのデータ領域に必要なデータをコピーすることで、特に大きな問題はなかった。また、 Dropbox をインストールしたので、これまで使用していたPCで使っていたクラウド上に保存してあるデータも同期させることができ、PCの乗り換えにあたっても問題はほとんど生じなかった。唯一、Dropbox設定直後のフォルダの同期に多少時間がかかったくらいで、これはデータの量を考えれば、妥当かなとおもえる。

 

 

(注意事項)

 

以上が、Cartina UM から U160DX への乗り換えの顛末となります。なんらかの参考になれば幸いです。ただし、ここに述べた操作は、筆者の経験をもとに記述したものであり、この記事の内容を適用したことによるいかなる結果にも筆者は一切の責任を負いかねますのでご了承ください。あくまでもPCの改造は自己責任で行って下さい。

 

(2012-7-15)

 

コンピュータとの関わり - PETからWindows7まで

  • 体験
コンピュータとの関わり - PETからWindows7まで

いまや、コンピュータは身近な道具として普及しており、これなしでは仕事ができないといった状況になっているところも多い。私は、これまで、職場や自宅でコンピュータを使ってきているが、今回は、このコンピュータとの関わりについて、書いてみようとおもう。

 

いまは、Windows XP や Vista (ビスタ)、7 (セブン) が全盛であるが、たしか、私が「コンピュータ」と呼べるものに初めて直に触ったのは、1977年のことだった。

 

当時は、T社のセラミック材料の開発を行っている部門に移ったばかりのときであった。そこで、酸化亜鉛のセンサの開発をしているグループがHP社のマイクロコンピュータを導入した。空き時間に少しばかり触らせていただいたのだが、キーボートは、英文タイプライターとほぼ同じ配列で、それ以外に、ファンクションキーがいくつかついているという、いまとそれほど変わらない入力方法であるが、表示は、発光ダイオードで一行のラインを文字表示させるディスプレイのみであった。特殊なBASICみたいな言語を走らせる。記録はこれも特殊なカセットテープに書き込み読み込みするものだった。ソフトの内容は、パラメータを与えて測定データを取得し、記録するという単純なものではあるが、それを自動的に実行するという点に惹かれた。ここで、データファイルのつくりかたやコンピュータへの入力のしかたなど、見よう見まねで覚えたものであった。

 

次に、その二年後くらいだろうか。米国コモドール社製の8ビットの「PET」といわれるものが導入された。これは、表示が40文字×25行くらいの白黒のブラウン管ディスプレイで、BASICという言語でプログラムを自作し、XYプロッタなどの機器の制御やデータ収集に使用していた。記録装置として使っていた5インチのフロッピーディスクドライブはよく読み込みエラーを起こし、プログラム自体もたまに暴走するという信頼性に欠けるものであった。

 

その後、日本のN社がPC8001というマイコン(バソコンとも呼んでいたが)を市場に売り出しした。これは、当時、国産品としてかなり普及したらしい。信頼性は格段に向上したが、価格は一式で80万円くらいした。もちろん、まだまだとても個人で買えるものではなかった。この頃は、酸化亜鉛を用いた半導体の開発に携わっていた時期になる。ようやく、表示が80文字×25行で、カラーのブラウン管がディスプレイとして使えた。このときは、長時間の測定データを収集するために使用していた。

 

1980年代前半はまだ8ビットマイコンが残っていたが、16ビットが主流の時代になった。5インチや3.5インチのフロッピーディスクが使えるようになった。しかし、現在のように市販されているパッケージソフトウェアはまだなくて、職場では、まだ、BASIC言語でプログラミングをしていた。だが、メーカー各社の仕様が統一されていなくて困ったものである。

 

仕様統一のきっかけとなったのが、MSXの登場であった。MSXは1983年ごろ登場し、価格が安く4万円から6万円くらいで本体が買えて、家庭のテレビに簡単に接続でき、BASIC言語でプログラムを自作できるほかに、ソフトメーカーからもMSX仕様のソフトウェアが売り出された。ここにきて、ようやく個人でコンピュータが持てる時代になったのであった。

 

当時、私は、職場では16ビットのコンピュータで、家では8ビットのMSXで、同じフロッピーディスクを持ち運びして仕事を処理していたことを覚えている。たしか、開発品のレポートや報告書などを書いていたようにおもう。自宅でMSXを使い、趣味でいわゆるパソコン通信なるものをはじめたのも、この頃のことであった。

 

その後、1995年を境に32ビットの時代になり、OS(オペレーティングシステム)もWindows (ウィンドウズ) 3.1、95、98、2000と変化していった。記録装置もハードディスクというものが使えるようになり、データの量も増えていった。扱うソフトウェアも、測定、データ処理、CAD、プレゼンテーションと、多岐にわたっている。また、電子メールも使いやすくなり、いまでは、コンピュータは私にとって道具となっている。

 

いままで、個人で購入し、自宅で使用したコンピュータを数えてみると、MSX(8ビット)、MSX2(8ビット)、Dynabook(16ビット)、Libretto(32ビット)、ThinkPad(32ビット)と、また使った言語も、初期のBASICから、FORTRAN、C、VisualBasicなど、様々であり、それぞれに歴史と想い出がある。

 

いま、私の職場では、64ビットのコンピュータが使用されはじめている。Windows 7 (ウィンドウズセブン) というもので、使い慣れた32ビットのものと少し使い勝手が異なるのだが、これもそのうち慣れていくに違いないとおもっている。

 

(2012-04-01)

 

 

正確にいうと、MS-DOS、DOS/V、MSX-DOS、MSX-DOS2 といった異なるOperation System が、共通のメディア(フロッピーデイスク)上で、同じファイルフォーマット(形式)で取り扱えるようになったことが、普及のひとつの側面としてあげられるのではないだろうか。それにしてもMSXは懐かしい。

 

(2012-06-30追記)

 

ソフトウェアツールの値段

  • 体験
ソフトウェアツールの値段

この話は、30年ほど前のことである。当時、プロッタで作図をしようと、プロッタ本体とコンピュータ本体につなぐインターフェースを作った経験があったな、などと、考えていたら、ソフトウェアの値段について想い出したことがあったので、書いてみようとおもう。

 

なぜかというと、当時、8ビットのコモドール社のPETというコンピュータが、ある測定を行うために職場に導入された。

 

もちろん、表示は白黒のディスプレイで、文字も一行40字で25行程度の表示能力しかなかった。グラフなどは、手描きか、プロッタを用意して、描かせるのが一般的だった。

プロッタでグラフを描くと、見栄えがいいので、簡単なプログラムをコーディングしては、動作確認し、使っていた。

 

コーディングは、例えば、次のような手順で行う。

 

1. OPEN 2,5 --- プロッタのインターフェースの初期化

2. PRINT#2,"I" --- プロッタ本体の初期化

3. PRINT#2,"M0,0" --- プロッタ原点の指定

4. PRINT#2,"I100,100" --- プロッタのペンを原点から相対位置座標の(100,100)に移動

5. PRINT#2,"P1" --- プロッタのペンを下ろす

6. PRINT#2,"I200,200" --- プロッタを(300,300)まで移動させる(線を引く)

7. PRINT#2,"P0" --- プロッタのペンを上げる

8. PRINT#2,"M0,0" --- プロッタのペンを原点に戻す

9. CLOSE 2 --- プロッタのインターフェースを閉じる

 

上記のように、当時、たいていのプロッタの作図ツールはこんな感じで、簡単なプログラムは、ほとんどすべて自作していた。したがって、たいして時間もかかっていない。もし、仮に作成費用を計算したところで、せいぜい1〜2万円程度だろうとおもわれた。

 

ところが、あるとき、これらのコーディングを行うのは、時間と手間がかかるので、外注に出したらどうか、という話が上司から出た。

 

さっそく、仕様をある程度、外注さんと打ち合わせた後に、見積りをいただいて驚いた。その当時のパッケージソフトと呼ばれたものは、1〜2万円、高くても数万円だった。だから、どんなに高くても十万円を超えないだろうと考えていた。

 

だが、その見積りには、なんと、百万円を超える金額が並んでいたのだ。

 

唖然とした。単純なツールなのに、なぜそんなに高いのか、わけがわからなかったのだ。しかし、とにかく、発注することとなった。

 

1か月ほど待った後に、そのツールは完成した。しかし、コンピュータへのインストールと動作確認に3日もかかり、コーディング自体が分量が多い、サイズが大きいために、当時のひ弱なコンピュータのメモリには、耐えがたいものだった。

 

結局、外注したものはあまり使われず(?)に、(少なくとも自分自身は、ほとんど使わずに、) 自作のツールを使っていたという記憶がある。

 

自分たちは、グラフ作図の意味とプロッタの動作がわかっているので、必要最小限のコーディングでソフトウェアツールを完成させた。

 

これに対して、外注さんは、ある程度、最初に仕様は決めているものの、基本に忠実に、コーディングしようとした、つまり、ある程度、自由度を持たせて、どんな変更要求にも耐えうるようにしたのだと、推察された。(そのため、コードが肥大化した。)

 

また、1か月の人件費と作業費も加算されて、莫大な金額になったのだとおもわれた。

 

ソフトの値段は、おそらくほとんど人件費なのであろう。

 

昔は、コンピュータスペシャリストという職種が、一部の企業にあったときいている。簡単な実験データや測定データを作図するのに、プロッタできちんと描画したほうが、きれいだし、見栄えも良いなど、説明資料としても、メリットはある。だが、さすがに、百万円を超えるソフトでも、自作のソフトでもたいして描画は変わらない、という状況では、困ってしまう。

 

この話は、まだ、ディスプレイのスクリーンコピーができない時代の話なので、今どきの事情はまた、異なるのかもしれない。

 

現代は、32-64ビットのコンピュータの時代であり、さすがに、自作ツールを扱う人は少ないとおもわれるが、外注化はやはり同じような構図だとおもわれる。

 

ソフトウェアの外注化がいかに高価だったかという、自分自身が経験した昔のエピソードのひとつである。

 

(2012-4-30)

 

東日本大震災から1年めの3月11日

  • 特集
東日本大震災から1年めの3月11日

あれから1年がたちました。長いような、しかし、あっという間の1年でした。

 

あの巨大な地震、そして、津波、さらに、原発事故の映像は、いまだに鮮明に脳裏に焼き付いています。

 

当初の「東北地方太平洋沖地震」から、いつのまにか「東日本大震災」と呼ばれるようになった震災です。

 

犠牲者のみなさまのことをおもうと本当に胸がいたみます。そして、いまもなお、苦しんでおられる被災者の方々、この震災でたいせつな親族、友人、知人を失った方々のことを考えると、なおいっそう胸が゛いたみます。

 

あの震災から1年、なかなか気の利いたことばで気持ちを表現するのは難しいですが、いまは、早い時期の復興を願いながら、自分たちにできることを、少しずつ、精一杯、やっていこうとあらためておもいました。

 

そこで、きょうは、ひとつの動画をご紹介いたします。

 

私の購読している北野幸伯さんのメールマガジン(*)に紹介されていたものです。

(*)→ http://archives.mag2.com/0000012950/

「まだまだ先は長いけれど、少しずつ進んでいきます。」という強いメッセージを感じていただければ幸いです。

↓↓↓

http://www.youtube.com/watch_popup?v=SS-sWdAQsYg&vq=medium

 

(2012-3-11)

 

 

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