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「続・小説『坊っちやん』誕生秘話」

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「続・小説『坊っちやん』誕生秘話」

いまでも色褪せない文豪・夏目漱石の名作『坊っちやん』。無鉄砲ではあるが、正義感あふれる坊っちやんが、四国の松山の中学校に数学教師として赴任することになり、生徒や教員たちとの人間関係に真正面から挑んで行く。夏目漱石の作品の中でも、特に人々に愛されている名作である。

夏目漱石がこの小説で書きたかったことはなにか。なにを表現しようとしたのか。

我々の母校で教鞭をとられた後、新潟県内の高校の学校長、関根学園の校長などを歴任された勝山一義先生が、この研究を長年続けられ、2009年に「小説『坊っちやん』誕生秘話」として、『坊っちやん』のモデル論に一石を投ずる文学研究書を出版されたことは記憶に新しい。

このほど、その続編ともいえる「続・小説『坊っちやん』誕生秘話」が出版された。前作以降の研究過程で新たに発見された事実を、明治初期という時代背景とともに考察し、解き明かしていく、まさに謎解きの旅への誘いの書である。

勝山先生が関根学園校長として赴任されていたある日、早稲田の2年の時に「坊っちやんのモデルは関根萬司(関根学園の創始者)であり、それを漱石に紹介したのは新潟商業高校を出た堀川三四郎である」という本を読まれたということを突然思いだされたそうだ。新潟商業高校と関根学園の両校の校長を歴任して縁がある自分が解明しなければならないという天命を感じられたそうである。そして、前作の「小説『坊っちやん』誕生秘話」を出版されたのであった。

前作では、「坊っちやん」のモデルとされた関根萬司と堀川三四郎の足跡をたどり、さまざまな仮説をたて検証している。そこでは、

・夏目金之助は、堀川三四郎が角田の中学校に赴任する時から辞任した後まで世話をしていた
・松山に着いた「おれ」が「赤シャツ」と「山嵐」の対立の間で揺れ動く描写は、堀川三四郎が角田の中学校の紛争で経験したこと
・婆や「清」は佐藤亀世からの創出
・画学の吉川先生は視学官野田藤馬
・マドンナは石川絢(あや)(三四郎夫人)
・「うらなり」のモデルも三四郎
・物理学校を卒業するまでの「おれ」は、松山へ赴任した「おれ」の前任者
・「坊っちゃん」という題名は関根萬司のニックネーム

などが紹介されている。

その後、松山での「おれ」は新潟商業学校(現、新潟商業高校)を卒業して東大で漱石の教え子第一号となった堀川三四郎であったこと、「山嵐」は宮城県の角田中学校の教師で塩田弓吉という人物であったこと、が新たに判明したという。

続編ともいえる「続・小説『坊っちやん』誕生秘話」では、この塩田弓吉にひとつの焦点があてられている。

小説『坊っちやん」の主な登場人物は、ほとんど九割方、角田中学校およびその周辺に実在していたのに、「山嵐」のモデルが見当たらないのは不思議だ。小説の中でもっとも魅力的な人物だ。きっと教師の中に「山嵐」のモデルとなった人物がいるに違いない、と勝山先生は考証され、塩田弓吉教諭を発見したのである。

小説『坊っちやん」は、夏目漱石が教え子である堀川三四郎から聞いた日露戦争のころの宮城県角田中学校の話を、漱石自身が10年前の明治28年に一年間勤務した松山を舞台にして書いたもの、ということだが、夏目漱石がこの小説で書きたかった中心部分はなにか。そして、塩田弓吉の名が長年伏せられていた理由はなにか。漱石は、日露戦争前後の日本の情勢に深い憂慮を抱いていた。そして、それを小説で表現しようとしたのかもしれない。このあたりは、きっと知りたくなるに違いない。

続・小説『坊っちやん』誕生秘話 勝山一義

自費出版 [制作: たかだ越書林 (上越市昭和町2-25-29 / 025-524-5531) ]

(自費出版のため、書店では取り扱っていません。ご希望の方は、このサイトの管理者までメールでご連絡下さい。詳細を返信させていただきます。頒価1,500円です。)

この前作は、

小説『坊っちやん』誕生秘話 勝山一義

文芸社 (新宿区新宿1-10-1 / 03-5359-2299)

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小説『坊っちゃん』誕生秘話

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(追記)

著者の勝山一義先生のご家族の方が詳しい解説をされています。ご参考まで。

→ http://bocchanhiwa.jimdo.com/

→ http://katsuyama-shin.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html

液晶テレビに接続したUSBハードディスクの故障と対策

液晶テレビに接続したUSBハードディスクの故障と対策

我が家の居間には、37型の液晶テレビ(東芝レグザREGZA)がおいてあり、そこに、USBハードディスクが接続されている。

 

いつもは、テレビ番組を録画して、時間の余裕のあるときに再生などをしている。もっとも、使用するのは私自身ではなく、専ら家族たちである。

 

先日も、ふつうに録画した番組を見ていたのだが、突然、「これなあに? どうなってるの?」との大声。

 

呼ばれて行ってみると、テレビの画面には、

「未登録のUSBハードディスクを検出しました。USBハードディスクの登録を行いますか?」

という表示がでており、

ここで「はい」を押すと、

「登録を行うために、初期化を行います。このUSBハードディスクの内容はすべて消去されます。よろしいですか?」
との表示になった。

 

もちろん「よろしい」わけはない。

そのハードディスクには、採り貯めた「まだ見ていない」番組のデータファイルがあるのだ。

 

いつもは、リモコンの録画リストというボタンを押すと、録画された番組の一覧が表示されるのだが、今回は、「未登録のUSBハードディスクを検出しました。.....」の表示になっている。

 

そこで、取扱説明書を見ながら、USBハードディスクの設定なるものをトライしてみた。
だが、いっこうに元にもどらない。

 

これは、もしかしたら、ハードディスクの故障かもとおもい、
テレビから取り外し、パソコン(PC)に接続して確認することにした。

 

Windowsでは、xfs形式のファイルは認識できないため、LinuxOS(Fedora)のPCに接続してみた。

自動的にマウントされ、USBディスクのプロパティを見ると、録画したUSBハードディスクは、1TBの容量で、ほぼ99%が使用済みの状態が確認できた。

 

いったん、アンマウントし、ファイルのチェックを行なった。

 

# umount /dev/sdb1

# xfs_check /dev/sdb1

.

can't read block 8388608 for directory inode 128

dir ino 128 missing leaf entry for 165273d8/bd8

.

block 0/7630956 type unknown not expected

sb_fdblocks 2747039, counted 2651561

 

次に、修復できるかを行なってみた。

 

# xfs_repair -Lv /dev/sdb1

Phase 1 - find and verify superblock...

superblock read failed, offset 0, size 524288, ag 0, rval -1

.

fatal error -- 入力/出力エラーです

 

との表示がでて、終了した。

 

本来、正常であれば、Phase 2, Phase 3, ... といけるはずなのに、それができなかった。

 

そこで、強制的にマウントし、ファイルのリストがでてくるかを確認した。

 

# mkdir ../../test1

# mount -t xfs /dev/sdb1 /test1 -o ro,norecovery

# xfs_logprint /dev/sdb1

xfs_logprint:

data device: 0x811

log device: 0x811 daddr: 976762528 length: 262144

Header 0x93 wanted 0xfeedbabe


**********************************************************************

* ERROR: header cycle=147 block=42066 *


**********************************************************************

Bad log record header

 

やはり、だめか。次に、強制的にファイルの表示をやってみた。

 

# cd /test1

# ls -al

ls: cannot access .toshibazze89d874cd80a: 入力/出力エラーです

ls: cannot access .toshiba_size_info_e89d874cd80a: 入力/出力エラーです

ls: cannot access M000020100220034450e89d874cd80a.dtv.meta: 入力/出力エラーです

ls: cannot access M000020131029154951e89d874cd80a.dtv: 入力/出力エラーです

ls: cannot access M000020130514205951e89d874cd80a.dtv.meta: 入力/出力エラーです

ls: cannot access .toshiba_dir_info_e89d874cd80a: 入力/出力エラーです

.

.

 

ここでお分かりのように、ハードディスクのヘッダーの一部が読み込みできない状態になっていたのであった。

 

おそらく、これはもう、USBハードディスクの摩耗故障で、寿命だ、と判断した。

 

ちょうど、WindowsでいうところのFAT(File Allocation Table)が壊れている状態なのだろう。

 

残念だが、ここまでくると、あきらめるしかない。

 

次の日には、新しいUSBハードディスクを買いに、家電量販店まで足を伸ばしたのであった。

そして、すぐに接続し登録して、新たに録画ができるようにしたのであった。

 

(2013-11-10)

 

 

なお、参考にさせていただいたサイトは次のとおりです。

 

レグザ USBハードディスクの傾向と対策

http://regza2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=4056693

 

「HDD認識しない」パソコンでレグザUSBハードディスクを復旧・修復 - レグザREGZA研究

http://www.4682.info/repair

 

 

 

 

北海道旅行3日め、函館へ

北海道旅行3日め、函館へ

小樽から札幌を経由し、函館に到着。向かったのは、湯の川温泉のホテル、「啄木亭」である。

 

夜七時ごろに函館に到着し、路面電車に乗り、湯の川温泉までいき、そこから徒歩数分の距離だった。

 

三月中旬のこと、天候はくもりだったが、比較的問題なく到着した。

 

この場所は、函館空港の滑走路が良く見える位置にある。

 

庭園は落ち着いた雰囲気で、迎え入れてくれた。

 

 

「啄木亭」庭園

 

次の日、天候は晴れ、ときどき猛吹雪という、とても変わりやすい天候だった。

 

晴れたかと思えば、次の瞬間、突然横風が吹き、視界が20メートル以下になり、まっしろで何も見えなくなる、といった天候だった。

 

JR函館駅

 

まず、路面電車で、函館の赤レンガ倉庫のとなりにある、北島三郎記念館をめざす。

 

路面電車に乗車したときは晴れ、しかし、下車したときは猛吹雪、この間わずか20分程度のことである。

 

ようやく、北島三郎記念館の入り口を見つけて入館した。

 

北島三郎といえば、有名な歌手であり、アーティストであり、優れたクリエーター、プロデューサーでもある。

 

こどものころに、覚えた「さぶちゃん」の歌を知らないものはいないだろう。

 

この記念館には、彼の生い立ちから、最近の作品まで、そのすべてが展示されている。

そこに行ってみなければわからないことも、けっこうあった。

 

感心したのは、説明員の方がとても良く対応して下さったこと。

 

これは、北島三郎ご本人が苦労されたこと、その後の大成功をおさめられたこと、そして、後進の教育指導に心を砕かれたことなど、全部つながっていて、その成果のひとつなのだとおもった。

 


人の世はいつの時代も...北島三郎記念館に掲示されていた

 

北島三郎記念館(左側の建物)と函館山(後方に山頂が見える)

 

北島記念館を出るころには、雪も止んで、晴れてきた。

 

赤レンガ倉庫周辺を函館駅に向かって歩き出した。

 

倉庫のあたりは、いま、ほとんど、土産物店や食堂などになっているようだ。

 

赤レンガ倉庫

 

駅手前の函館朝市にて、簡単な昼食をいただいた。といっても、海産物は新鮮だし、とてもうまい。

 

平日のためか、けっこうすいており、ゆっくりと食事ができた。

 

少し時間があったので、五稜郭まで足を伸ばすこととした。

 

五稜郭は、路面電車、函館市電で15分、そこから徒歩10分くらいのところで、
五稜郭公園となっている。

 

その公園のすぐそばには、五稜郭タワーと呼ばれる建物があり、公園全体を展望できるようになっている。

 

五稜郭タワー

 

五稜郭公園の中は、函館の関所跡があり、その周囲が散策路になっていた。

 

到着したときは、晴れ。散策路に足を踏み入れて歩き始めて行くと、突然、猛吹雪に、そして、すぐに晴れ、と、天候は不安定だった。

 

函館奉行所

 

ちょうど、三月の中頃のこと、このような変わりやすい天候は、函館の特徴なのだろうか。

 

写真も久しぶりに、たくさん撮影した。

 

今度、このような旅行ができるのは、いつだろうか。

 

家族で、そろって旅行にいけるのは、いつになるのだろうか。

 

そんなことを考えながら、函館発、新青森行きの特急列車に乗ったのであった。

 

JR函館駅構内の横断幕

 

新青森行きの特急「スーパー白鳥」

 

(2013-07-28)

 

 

 

北海道旅行2日め、札幌から小樽、そして函館へ

北海道旅行2日め、札幌から小樽、そして函館へ

札幌は、北海道随一の都市であり、駅を降りて、大通りに向かう道は、とても混雑していた。

 

ことしの三月中旬のことである。

 

ちょうど、雪が解けて、道路から歩道へと、融雪のみずたまりができており、除雪も中途半端な感じとなっていて、歩道も歩きにくい部分が多かった。

 

そんな中を、大通り公園をめざした。というのも、この近くに、泊まる宿があるからである。

 

時計台、テレビ塔、北海道新聞社を横目にみながら、歩いていった。

 

札幌の時計台

 

北海道新聞社の建物に掲げられた選抜高校野球の応援メッセージ

 

宿を見つけて、チェックインした後、夕食を外で食べようと、市内を徒歩で歩き回った。
いい加減、歩き疲れたころ、ちょうど蟹めしのお店があり、そこに入った。

 

味は抜群だった。価格はリーズナブル。

 

その店のご主人は、若かったが、聞けば、父親が小樽で水産のお店を出しているという。
それも、次の日に行く予定の小樽運河のそばだという。

 

これもも、ひとつの縁なのか。

 

夜の札幌、ネオンがすごい

 

次の日、札幌から小樽へむかった。天候は雪。

 

小樽では、少し手前の駅で下車し、石原裕次郎記念館をまず見学した。さすがに、裕次郎のファンにはたまらないところなのだろう。ただ、平日のためか、また、天候のためか、お客さんは少なかった。

 

そして、徒歩でバス停まで、そこからバスに乗り、小樽運河へ。

 

小樽運河では、特定のスポットで、みんなが写真撮影をしていた。外国の観光客も多いらしく、中国語を話す人たちの集団がそこにいた。

 

小樽運河は、赤レンガの倉庫群があるが、あまり観光客には公開されていないらしい。
いまだに、業務で使用されている。

 

小樽運河、このスポットは有名らしい

 

雪のなか、足元の良くない道を歩いて、小樽駅方面へと向かった。

 

途中、ガラス細工のお店に立ち寄り、工芸品を見せていただいた。

 

小樽には、観光スポットが多いらしい。

 

街中に、観光施設を紹介する看板が立っている。

 

 


5か国語で書かれた史跡の説明文

 

それらは、日本語はもちろん、英語、韓国(朝鮮)語、中国語、そしてロシア語で説明されているのであった。

 

英語、韓国語、中国語までは、こちらでも見かけるが、ロシア語というのは、滅多にない。

 

しかし、北の玄関である小樽では、ロシア人も多く観光客としてきているのだろうと、おもった。

 

天候が良くなくて、早々に切り上げ、次の目的地である函館に向かったのだった。

 

(2013-07-28)

 

 

 

久しぶりの北海道巡り - 旭川

久しぶりの北海道巡り - 旭川

最近では、なかなか遠出するチャンスがなかったのだが、先日、家族で北海道旅行にでかけてきた。

 

三月の中旬のことである。

 

羽田空港から朝の便に乗り、十時ごろに旭川空港に到着。それから、路線バスで、かの有名な旭山動物園をめざした。

 

当日の天候は、雪。それほど寒くはなかったものの、それでも氷点下10度くらいだったろうか。

 

旭川といえば、旭山動物園は有名だとのことだが、なかなか行くチャンスがなかった。

 

十五年ほど前に、仕事で、羽田と旭川は何度も日帰りで往復したことがあったが、時間がなかったのか、余裕がなかったのか、その当時は、行くことかなわずだった。

 

そのうちに、テレビでも、旭山動物園のことがとりあげられるようになり、そんなに有名ならば、一度は行ってみたいな、とおもっていた。

 

けっこう観光客も多く、それなりに混んではいたが、平日だったので、比較的ゆっくりと見てまわることができた。

 

 

 

 

ペンギンの散歩、これをわずか1メートルの至近距離で見られた。シロクマも、アザラシも、キタキツネも、間近で見てきた。

 

ほほ゛回る順序が決まっていて、だいたい二時間半くらいで、おもなところは見て回ることができた。

 

 

 

 

少し、早めに動物園を後にして、市内へとバスでむかう。

 

昼食は、これも有名な旭川ラーメン、梅光軒(ばいこうけん)のラーメンを駅前のとおりにあるお店でいただいた。

 

このお店は、小さいながらも、有名人が多くおとずれるようで、著名なタレントや文化人のサイン入り色紙が、壁面を飾っていた。

 

実は、梅光軒は、何か所かにあり、そのうちのひとつが、かつて、私が仕事で出入りしていた工場のすぐ裏手にあって、よくお昼時に食事をしに行ったものだった。その味とまったく同じでとてもおいしいものだった。

 

そして、当日の宿である札幌へと、列車に乗るべく、JR旭川駅へ向かったのだった。

 

 

JR旭川駅は、駅前が工事中で、昔のおもかげはほとんど失われていた。

 

十五年も経っているのだから、変化はしかたがない。

 

そんなことをおもいながら、北海道旅行の第1日めをスタートしたのであった。

 

 

梅光軒(ばいこうけん)
http://www.baikohken.com

 

(2013-07-21)