カテゴリー:体験
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ひまつぶし雑学クイズ - スマホアプリ作成体験

昨年8月に、スマートフォンのアプリビジネスのセミナーが開催された。

おもしろそうだという少しの興味もあって、これに出席し、世の中の動向とビジネスに関するいろんな話を伺い、勉強させていただいた。

 

あまり詳しくは書けないのだが、

世の中はスマートフォンへの移行が進んでいて、アプリという個別ソフトのダウンロードが非常に多い。

iPhoneもAndroidもストア(アップルストア、グーグルプレイ)にたくさん公式アプリが存在している。

スマホユーザーの9割以上がアプリをダウンロードしている。

無料アプリも多い。

個人でもアプリを作って配布できる時代になった。

あなたもアプリを作成してビジネスにしませんか?

というもので、最後に塾の案内とサンプルツールの提供があった。

 

このツール(試用版、お試し版)を使って、アプリを作成してみた。そして、Google Playに登録してみた。

 

まず、アプリの作成だが、簡単なクイズの例題があり、それに倣って問題と回答を準備する。この後、ツールAの試用版をWeb上で実行し、雛形の部分にさきほどの問題と回答を入れていく。別のツールBを起動して、AとBのツールを連携させて、ツールBにて最終的にアプリの形にまとめる。そして、必要なファイルをまとめてGoogle Playに登録する。

ざっと流れをみると、こんな感じであった。集中してこの作業を行っても、約3日間ほどかかった。

 

いまは、なかなかこのような時間がとれないが、おもしろい体験だったと思っている。

 

作成したアプリは「ひまつぶし雑学クイズ」というネーミングにしてみた。(*)

 

内容は、

 

「あなたの雑学の知識を試してみませんか?ちょっとした空き時間にできる、雑学クイズのアプリです。クイズ大会や懇親会の場でも使えます。」

" Why do not you try the knowledge of your trivia? Can be a little free time, it is a trivia quiz app. You can also use in quiz competitions and social gatherings of the field."

 

というもの。

 

もし良かったら、ダウンロードしてみて下さい。

→ ひまつぶし雑学クイズ

 

驚いたことに、これをGoogle Playに登録したところ、海外よりメールがきて、紹介したいとのこと。日本語のアプリなのに海外でも告知されるのだとちょっとびっくりした。おもしろい体験だった。

 

(2018-2-4)

 

 

(*) このアプリは、App Studio 試用版とMonaca を使用して作成しました。本格的に作業するには、それぞれのサイトへの登録などが必要です。また、このアプリはAndroid用です。iPhone向けではありません。

 

 

 

 

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久しぶりの友人たちとの再会

気がつくと、ことしももう12月。いろんなできごとがあった1年だった。なかでも、私にとっては、キーワードのひとつが「再会」であろう。

 

特に、40数年前の友人たちとの再会は、心に残った。

 

ひとつは、高卒で就職したときの仲間たちだ。

 

2月の初めころ、以前の職場の同期入社の方から還暦を目前にした同期の会を開催するので参加を、というお誘いをいただいた。

 

4月に開催されたその会には、40人を超える方々が、遠くは北海道、九州からわずか2時間あまりの会のためにかけつけてくれた。高校卒業後、就職して42年めの会であった。例え、一時であっても同じ空間・時間を共有した仲間たちとの語らいは尽きることなく、あっという間に時間が過ぎていった。

 

同じ職場にとどまる者もいれば、入社1年足らずで退職し、他に生きる道を求めていった者、さまざまだった。40人いれば、40人分の人生がそこには展開されていた。

 

もうひとつは、高校のときの同級生との再会だった。

 

8月に還暦記念の同級会を行うという案内をいただいた。こちらは6年ぶりの開催だが、今回は高校卒業以来、はじめて再会する方も多かった。懐かしい方々にお会いでき、お話させていただくことができて、とても楽しいひとときを過ごすことができた。

 

また今回は、まだ、現役で働いていて、都合がつかず、参加できなかった方も多かったが、幹事さんがそんな方々の近況も含めて「小冊子」にして、参加した方々に配布してくれたのだ。40年の空白を埋めるような、懐かしい気持ちになったのは、私だけではあるまい。

 

企画してくれた幹事さんたちに、本当に、感謝している。次回は3年後とのこと、楽しみにしている。

 

高校同期の有志で、10年前からはじめた文集の「雪駄」も、そういえば、今回で、再刊5回めとなった。多忙も含めてさまざまな理由で、なかなか、タイミング良く編集発行とはいかなかったが、多くの方々に支えられながらどうにかここまで進めてくることができた。本当に感謝のことば以外にない。

 

さて、これから。また、どんな出会い、「再会」があるだろうか。楽しみである。

 

 

P.S.

 

8月の高校同級会のときの様子を、スナップ写真や上記の小冊子も含めて、こちらに紹介しています。同級生の方々、恩師の方々にぜひごらんいただければとおもっています。

 

→ https://fp46.net/alumni/y2012/

 

(閲覧にはIDとPasswordが必要です。このサイトの管理者までメールでご連絡下さい。)

 

(2012-12-02)

 

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コンピュータとの関わり - PETからWindows7まで

いまや、コンピュータは身近な道具として普及しており、これなしでは仕事ができないといった状況になっているところも多い。私は、これまで、職場や自宅でコンピュータを使ってきているが、今回は、このコンピュータとの関わりについて、書いてみようとおもう。

 

いまは、Windows XP や Vista (ビスタ)、7 (セブン) が全盛であるが、たしか、私が「コンピュータ」と呼べるものに初めて直に触ったのは、1977年のことだった。

 

当時は、T社のセラミック材料の開発を行っている部門に移ったばかりのときであった。そこで、酸化亜鉛のセンサの開発をしているグループがHP社のマイクロコンピュータを導入した。空き時間に少しばかり触らせていただいたのだが、キーボートは、英文タイプライターとほぼ同じ配列で、それ以外に、ファンクションキーがいくつかついているという、いまとそれほど変わらない入力方法であるが、表示は、発光ダイオードで一行のラインを文字表示させるディスプレイのみであった。特殊なBASICみたいな言語を走らせる。記録はこれも特殊なカセットテープに書き込み読み込みするものだった。ソフトの内容は、パラメータを与えて測定データを取得し、記録するという単純なものではあるが、それを自動的に実行するという点に惹かれた。ここで、データファイルのつくりかたやコンピュータへの入力のしかたなど、見よう見まねで覚えたものであった。

 

次に、その二年後くらいだろうか。米国コモドール社製の8ビットの「PET」といわれるものが導入された。これは、表示が40文字×25行くらいの白黒のブラウン管ディスプレイで、BASICという言語でプログラムを自作し、XYプロッタなどの機器の制御やデータ収集に使用していた。記録装置として使っていた5インチのフロッピーディスクドライブはよく読み込みエラーを起こし、プログラム自体もたまに暴走するという信頼性に欠けるものであった。

 

その後、日本のN社がPC8001というマイコン(バソコンとも呼んでいたが)を市場に売り出しした。これは、当時、国産品としてかなり普及したらしい。信頼性は格段に向上したが、価格は一式で80万円くらいした。もちろん、まだまだとても個人で買えるものではなかった。この頃は、酸化亜鉛を用いた半導体の開発に携わっていた時期になる。ようやく、表示が80文字×25行で、カラーのブラウン管がディスプレイとして使えた。このときは、長時間の測定データを収集するために使用していた。

 

1980年代前半はまだ8ビットマイコンが残っていたが、16ビットが主流の時代になった。5インチや3.5インチのフロッピーディスクが使えるようになった。しかし、現在のように市販されているパッケージソフトウェアはまだなくて、職場では、まだ、BASIC言語でプログラミングをしていた。だが、メーカー各社の仕様が統一されていなくて困ったものである。

 

仕様統一のきっかけとなったのが、MSXの登場であった。MSXは1983年ごろ登場し、価格が安く4万円から6万円くらいで本体が買えて、家庭のテレビに簡単に接続でき、BASIC言語でプログラムを自作できるほかに、ソフトメーカーからもMSX仕様のソフトウェアが売り出された。ここにきて、ようやく個人でコンピュータが持てる時代になったのであった。

 

当時、私は、職場では16ビットのコンピュータで、家では8ビットのMSXで、同じフロッピーディスクを持ち運びして仕事を処理していたことを覚えている。たしか、開発品のレポートや報告書などを書いていたようにおもう。自宅でMSXを使い、趣味でいわゆるパソコン通信なるものをはじめたのも、この頃のことであった。

 

その後、1995年を境に32ビットの時代になり、OS(オペレーティングシステム)もWindows (ウィンドウズ) 3.1、95、98、2000と変化していった。記録装置もハードディスクというものが使えるようになり、データの量も増えていった。扱うソフトウェアも、測定、データ処理、CAD、プレゼンテーションと、多岐にわたっている。また、電子メールも使いやすくなり、いまでは、コンピュータは私にとって道具となっている。

 

いままで、個人で購入し、自宅で使用したコンピュータを数えてみると、MSX(8ビット)、MSX2(8ビット)、Dynabook(16ビット)、Libretto(32ビット)、ThinkPad(32ビット)と、また使った言語も、初期のBASICから、FORTRAN、C、VisualBasicなど、様々であり、それぞれに歴史と想い出がある。

 

いま、私の職場では、64ビットのコンピュータが使用されはじめている。Windows 7 (ウィンドウズセブン) というもので、使い慣れた32ビットのものと少し使い勝手が異なるのだが、これもそのうち慣れていくに違いないとおもっている。

 

(2012-04-01)

 

 

正確にいうと、MS-DOS、DOS/V、MSX-DOS、MSX-DOS2 といった異なるOperation System が、共通のメディア(フロッピーデイスク)上で、同じファイルフォーマット(形式)で取り扱えるようになったことが、普及のひとつの側面としてあげられるのではないだろうか。それにしてもMSXは懐かしい。

 

(2012-06-30追記)

 

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ソフトウェアツールの値段

この話は、30年ほど前のことである。当時、プロッタで作図をしようと、プロッタ本体とコンピュータ本体につなぐインターフェースを作った経験があったな、などと、考えていたら、ソフトウェアの値段について想い出したことがあったので、書いてみようとおもう。

 

なぜかというと、当時、8ビットのコモドール社のPETというコンピュータが、ある測定を行うために職場に導入された。

 

もちろん、表示は白黒のディスプレイで、文字も一行40字で25行程度の表示能力しかなかった。グラフなどは、手描きか、プロッタを用意して、描かせるのが一般的だった。

プロッタでグラフを描くと、見栄えがいいので、簡単なプログラムをコーディングしては、動作確認し、使っていた。

 

コーディングは、例えば、次のような手順で行う。

 

1. OPEN 2,5 --- プロッタのインターフェースの初期化

2. PRINT#2,"I" --- プロッタ本体の初期化

3. PRINT#2,"M0,0" --- プロッタ原点の指定

4. PRINT#2,"I100,100" --- プロッタのペンを原点から相対位置座標の(100,100)に移動

5. PRINT#2,"P1" --- プロッタのペンを下ろす

6. PRINT#2,"I200,200" --- プロッタを(300,300)まで移動させる(線を引く)

7. PRINT#2,"P0" --- プロッタのペンを上げる

8. PRINT#2,"M0,0" --- プロッタのペンを原点に戻す

9. CLOSE 2 --- プロッタのインターフェースを閉じる

 

上記のように、当時、たいていのプロッタの作図ツールはこんな感じで、簡単なプログラムは、ほとんどすべて自作していた。したがって、たいして時間もかかっていない。もし、仮に作成費用を計算したところで、せいぜい1〜2万円程度だろうとおもわれた。

 

ところが、あるとき、これらのコーディングを行うのは、時間と手間がかかるので、外注に出したらどうか、という話が上司から出た。

 

さっそく、仕様をある程度、外注さんと打ち合わせた後に、見積りをいただいて驚いた。その当時のパッケージソフトと呼ばれたものは、1〜2万円、高くても数万円だった。だから、どんなに高くても十万円を超えないだろうと考えていた。

 

だが、その見積りには、なんと、百万円を超える金額が並んでいたのだ。

 

唖然とした。単純なツールなのに、なぜそんなに高いのか、わけがわからなかったのだ。しかし、とにかく、発注することとなった。

 

1か月ほど待った後に、そのツールは完成した。しかし、コンピュータへのインストールと動作確認に3日もかかり、コーディング自体が分量が多い、サイズが大きいために、当時のひ弱なコンピュータのメモリには、耐えがたいものだった。

 

結局、外注したものはあまり使われず(?)に、(少なくとも自分自身は、ほとんど使わずに、) 自作のツールを使っていたという記憶がある。

 

自分たちは、グラフ作図の意味とプロッタの動作がわかっているので、必要最小限のコーディングでソフトウェアツールを完成させた。

 

これに対して、外注さんは、ある程度、最初に仕様は決めているものの、基本に忠実に、コーディングしようとした、つまり、ある程度、自由度を持たせて、どんな変更要求にも耐えうるようにしたのだと、推察された。(そのため、コードが肥大化した。)

 

また、1か月の人件費と作業費も加算されて、莫大な金額になったのだとおもわれた。

 

ソフトの値段は、おそらくほとんど人件費なのであろう。

 

昔は、コンピュータスペシャリストという職種が、一部の企業にあったときいている。簡単な実験データや測定データを作図するのに、プロッタできちんと描画したほうが、きれいだし、見栄えも良いなど、説明資料としても、メリットはある。だが、さすがに、百万円を超えるソフトでも、自作のソフトでもたいして描画は変わらない、という状況では、困ってしまう。

 

この話は、まだ、ディスプレイのスクリーンコピーができない時代の話なので、今どきの事情はまた、異なるのかもしれない。

 

現代は、32-64ビットのコンピュータの時代であり、さすがに、自作ツールを扱う人は少ないとおもわれるが、外注化はやはり同じような構図だとおもわれる。

 

ソフトウェアの外注化がいかに高価だったかという、自分自身が経験した昔のエピソードのひとつである。

 

(2012-4-30)

 

  • 体験
放射線の「こわさ」

先日、私の母校である高校の関東地域での同窓会があり、出席させていただいた。会に先立って、東京大学環境安全本部の飯本武志先生の『「放射線」のはなし』という題での講演があった。そこで、ひととおり、お話をうかがい、また、参加者からもたくさんの質問がでて、関心の高さをあらためて認識した。

 

→  飯本武志先生の『「放射線」のはなし』

 

いまでこそ、話題に新鮮味がなくなったせいか、放射能の汚染の問題については、テレビや新聞ではあまり取り上げられなくなったようだが、実際にインターネットで情報収集してみると、知られていないことも多々あるようで、まだまだ、油断はできないな、とおもうこの頃である。

 

放射能の人体に与える影響は、いろんなところで解説されているので、過剰に不安になることはなく、冷静に判断していただければよいとおもう。

 

今回は、私自身の「放射線」との関わりについて、記してみたい。

 

いま、問題になっている「放射能」とは、少し分野が異なるかもしれないが、「エックス線」というものを私は仕事で使っていたことがある。

 

材料の構造解析のために、X線回折という手法を使って、結晶の型や性質などを調べていた時期があった。

 

ごぞんじのように、X線は放射線の一種で、使うためには、特別な管理をしなければならない。

 

X線装置を扱うためには、法令によって、「作業主任者」を選任する必要があり、自分自身が資格を取得するために、放射線関係の物理や化学、また法律・法令などの勉強をさせていただいていた。もう30年以上も前のことである。

 

そのときに、いろんなことを学んだのだが、当時の指導者からいちばん言われていたのは、「放射線は後になって効いてくる」ということであった。

 

材料の構造解析をするために、X線回折装置をうごかすのであるが、もちろん、装置の周囲は、鉛入りの壁と特殊ガラスで被われていた。

 

鉛はすべての放射線を出す物質が崩壊して最後にたどる物質の姿で、また、鉛の壁は、放射線を吸収し、減衰させる。

 

X線装置のX線源のシャッターを開閉するときが、いちばん管理者として緊張したときであったことを、いまでも覚えている。

 

定期検査ももちろん実行されていた。毎月だったか、X線回折装置の周囲の特定地点にて、放射線量をシンチレーションカウンタで測定するのである。自分自身がエックス線作業主任者として、測定し、報告する義務を負っていた。

 

また、作業する人は、私も含めてすべて作業時に、フィルムバッジというものを着用し、被爆線量の計測を行なっていた。そして、作業している人には、定期的な採血検査もあった。

 

CuKαを使用する軽微なX線でさえ、このような厳重な管理を行なっていたのである。

 

放射線は、「後になって効いてくる」といわれるが、どうなるのだろうか、正直いってよくわからない。ただ、いまもって健康でいられることに感謝している。

 

(2011-7-10)

 

 

□ 原発事故関連のサイト □

 

ここでは、インターネットで閲覧できる原発事故関連のサイトをご紹介します。参考にしていただければ幸いです。ただ、さまざまなレベルの記載があるため、事実、解釈、意見などが混在している恐れがあります。ですので、これらの内容に関しては、あくまでも自己責任で判断をお願いいたします。

 

 

◆ 中部大学・武田邦彦教授のWEBサイト

→ http://takedanet.com/

 

◆ 東京を含む広域の放射能汚染状況予想図

(福島) http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-49.html

(チェルノブイリ) http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-19.html

 

◆ 放射性セシウム含む汚泥の焼却灰の肥料利用について(小出裕章先生)

→ http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/07/01/tanemaki-jun-30/

 

◆ 都の水道水から放射性セシウム、ごく微量、約2か月半ぶり

→ https://www.j-cast.com/2011/07/06100672.html

 

◆ 空間放射線量が4月以来の上昇(群馬)

→ http://mainichi.jp/area/gunma/news/20110706ddlk10040538000c.html

 

◆ 放射線についての基礎知識と安全に関して(応用物理学会)

→ http://annex.jsap.or.jp/radiation/20110317.html

 

 

□ 新潟県立有恒高等学校同窓会・東京支部総会 □

→ http://myfootprint.sitemix.jp/y2011/

(閲覧は、サイト管理者までご連絡下さい)

 

 

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