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  • 放射線の「こわさ」

    2011/07/10

    体験

    先日、私の母校である高校の関東地域での同窓会があり、出席させていただいた。会に先立って、東京大学環境安全本部の飯本武志先生の『「放射線」のはなし』という題での講 ...

  • 3月14日の友人へのレター

    2011/04/30

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    あれから、50日を迎えます。3月11日の震災は、多方面に多大な影響を与えました。そして、いまなお、その余震が続いています。また、福島原発の状況は一進一退ですが、 ...

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放射線の「こわさ」

先日、私の母校である高校の関東地域での同窓会があり、出席させていただいた。会に先立って、東京大学環境安全本部の飯本武志先生の『「放射線」のはなし』という題での講演があった。そこで、ひととおり、お話をうかがい、また、参加者からもたくさんの質問がでて、関心の高さをあらためて認識した。

 

→  飯本武志先生の『「放射線」のはなし』

 

いまでこそ、話題に新鮮味がなくなったせいか、放射能の汚染の問題については、テレビや新聞ではあまり取り上げられなくなったようだが、実際にインターネットで情報収集してみると、知られていないことも多々あるようで、まだまだ、油断はできないな、とおもうこの頃である。

 

放射能の人体に与える影響は、いろんなところで解説されているので、過剰に不安になることはなく、冷静に判断していただければよいとおもう。

 

今回は、私自身の「放射線」との関わりについて、記してみたい。

 

いま、問題になっている「放射能」とは、少し分野が異なるかもしれないが、「エックス線」というものを私は仕事で使っていたことがある。

 

材料の構造解析のために、X線回折という手法を使って、結晶の型や性質などを調べていた時期があった。

 

ごぞんじのように、X線は放射線の一種で、使うためには、特別な管理をしなければならない。

 

X線装置を扱うためには、法令によって、「作業主任者」を選任する必要があり、自分自身が資格を取得するために、放射線関係の物理や化学、また法律・法令などの勉強をさせていただいていた。もう30年以上も前のことである。

 

そのときに、いろんなことを学んだのだが、当時の指導者からいちばん言われていたのは、「放射線は後になって効いてくる」ということであった。

 

材料の構造解析をするために、X線回折装置をうごかすのであるが、もちろん、装置の周囲は、鉛入りの壁と特殊ガラスで被われていた。

 

鉛はすべての放射線を出す物質が崩壊して最後にたどる物質の姿で、また、鉛の壁は、放射線を吸収し、減衰させる。

 

X線装置のX線源のシャッターを開閉するときが、いちばん管理者として緊張したときであったことを、いまでも覚えている。

 

定期検査ももちろん実行されていた。毎月だったか、X線回折装置の周囲の特定地点にて、放射線量をシンチレーションカウンタで測定するのである。自分自身がエックス線作業主任者として、測定し、報告する義務を負っていた。

 

また、作業する人は、私も含めてすべて作業時に、フィルムバッジというものを着用し、被爆線量の計測を行なっていた。そして、作業している人には、定期的な採血検査もあった。

 

CuKαを使用する軽微なX線でさえ、このような厳重な管理を行なっていたのである。

 

放射線は、「後になって効いてくる」といわれるが、どうなるのだろうか、正直いってよくわからない。ただ、いまもって健康でいられることに感謝している。

 

(2011-7-10)

 

 

□ 原発事故関連のサイト □

 

ここでは、インターネットで閲覧できる原発事故関連のサイトをご紹介します。参考にしていただければ幸いです。ただ、さまざまなレベルの記載があるため、事実、解釈、意見などが混在している恐れがあります。ですので、これらの内容に関しては、あくまでも自己責任で判断をお願いいたします。

 

 

◆ 中部大学・武田邦彦教授のWEBサイト

→ http://takedanet.com/

 

◆ 東京を含む広域の放射能汚染状況予想図

(福島) http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-49.html

(チェルノブイリ) http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-19.html

 

◆ 放射性セシウム含む汚泥の焼却灰の肥料利用について(小出裕章先生)

→ http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/07/01/tanemaki-jun-30/

 

◆ 都の水道水から放射性セシウム、ごく微量、約2か月半ぶり

→ https://www.j-cast.com/2011/07/06100672.html

 

◆ 空間放射線量が4月以来の上昇(群馬)

→ http://mainichi.jp/area/gunma/news/20110706ddlk10040538000c.html

 

◆ 放射線についての基礎知識と安全に関して(応用物理学会)

→ http://annex.jsap.or.jp/radiation/20110317.html

 

 

□ 新潟県立有恒高等学校同窓会・東京支部総会 □

→ http://myfootprint.sitemix.jp/y2011/

(閲覧は、サイト管理者までご連絡下さい)

 

 

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3月14日の友人へのレター

あれから、50日を迎えます。3月11日の震災は、多方面に多大な影響を与えました。そして、いまなお、その余震が続いています。また、福島原発の状況は一進一退ですが、まだまだ予断を許さない状況だとおもわれます。

 

放射能の知識について書かれた記事は、いまでこそ、たくさん出ているようになりましたが、私は、次の2点をご紹介したいとおもいます。

 

ひとつは、放射線についての基礎知識と安全に関することについて、応用物理学会(私も所属していますが)の放射線分科会が書かれた、一般の方々を対象としたわかりやすい記事があります。放射線には、アルファ線、ベータ線、ガンマ線などがあり、このガンマ線に特に注意すべきこと、また、一般に放射能というのは、ある物質(例えば沃素など)がこの放射線を出す「ちから」を示すものであることなど、わかりやすく書かれていますので、ぜひご参照下さい。


http://annex.jsap.or.jp/radiation/20110317.html

 

もうひとつは、「放射能から身を守る方法」という無料の「e-book」です。これも、皆様に、ぜひお読みいただきたいとおもっています。


http://mailzou.com/get.php?R=34194&M=17898

 

この「e-book」は、私もダウンロードして読み終えました。この中では、最悪の事態を想定してかかれているためか、多少sensationalな記述もありますが、有用なことも多くのっており、知っておいてそれに越したことはないとおもっています。

 

作成されたのは、中松裕太さんという方です。中松さんは、次のようにいっておられます。

 

「私自身が、この「【MDR】放射能から身を守る方法」を執筆しようと思ったきっかけは、自分自身が、放射能の恐怖に怯え、そこから逃れるための対策などを勉強・研究しはじめたのがきっかけでした。そして、そうこうするうちに、この情報を求めている人は、私以外にも、多くいるのではないか?これを体系的に、情報としてまとめて発信すれば、多くの人に役立つのではないか?そう考えるに至りました。」

 

専門家ではない一般の人の目線からの記事ですので、また別の意味で有用だとおもわれます。現在、そして近い将来に想定される状況に対処するためにも、ぜひお読みいただきたいとおもっています。

 

きょうは、最後に、震災発生後3日めの3月14日に、ひとりの友人にあてた私のレターをご紹介します。

 

「○○様、ごぶさたしています。今回の地震は、おもった以上に大きく、テレビなどで被害が報道されるにつれ、その影響の大きさにショックを受けています。

 

私は、11日の地震発生当時、職場である○○の18階だてビルの13階にいました。高層ビルの事務所ですので、地震があると多少は揺れるのですが、今回のようなのは、はじめてでした。まるで船に乗っているような横揺れでした。すぐに家族と連絡をとろうとしましたが、近くにもかかわらず電話がまったくつながらず、携帯メールでようやく連絡がとれ、互いの無事を確認することができました。11日は、その後、電車がまったく動かなかったので、私は会社の仲間と会社の事務所で夜を明かして、12日の午前に動き始めた電車でようやく帰宅しました。幸いなことに、自宅は大丈夫でした。

 

私の友人のひとりで福島に住んでいる人は、13日夜まで連絡がとれませんでした。ようやく昨夜、メールで無事を知ったしだいです。停電がようやく復旧したものの、いまだ断水が続いているとのことです。

 

13日は、近くの電器量販店へ、電池を買いに行ってきました。単2、単3、単4はどうにか入手できたのですが、単1電池は売り切れで、工場が止まっているとのことで、入荷はいつになるか分からないとの店員の返答でした。

 

14日は、東京電力が計画停電を実施するとのことで、その一環としてでしょうが、JRの東京圏内のほとんどすべての路線が運休になり、いったん朝、会社へ向かったものの自宅に引き返し、待機することとなりました。

 

立ち寄ったコンビニでは、おにぎり・弁当・パンなどはまったくなく、お店も、計画停電の影響でお休みのところがほとんどでした。

 

しばらくは大変な状況が続くとおもいますが、○○さんもお気をつけて、お過ごし下さい。」

 

(2011-3-14)

 

あれから、50日を迎えます。状況は少しずつ改善されているものの、まだまだ長い道のりです。いまは、早い時期の復興を願いながら、自分たちにできることを、少しずつ、精一杯、やるだけです。

 

もう4月も終わり、桜も葉桜になってしまいました。

 

(2011-4-30)