年別:2012年
  • 体験
コンピュータとの関わり - PETからWindows7まで

いまや、コンピュータは身近な道具として普及しており、これなしでは仕事ができないといった状況になっているところも多い。私は、これまで、職場や自宅でコンピュータを使ってきているが、今回は、このコンピュータとの関わりについて、書いてみようとおもう。

 

いまは、Windows XP や Vista (ビスタ)、7 (セブン) が全盛であるが、たしか、私が「コンピュータ」と呼べるものに初めて直に触ったのは、1977年のことだった。

 

当時は、T社のセラミック材料の開発を行っている部門に移ったばかりのときであった。そこで、酸化亜鉛のセンサの開発をしているグループがHP社のマイクロコンピュータを導入した。空き時間に少しばかり触らせていただいたのだが、キーボートは、英文タイプライターとほぼ同じ配列で、それ以外に、ファンクションキーがいくつかついているという、いまとそれほど変わらない入力方法であるが、表示は、発光ダイオードで一行のラインを文字表示させるディスプレイのみであった。特殊なBASICみたいな言語を走らせる。記録はこれも特殊なカセットテープに書き込み読み込みするものだった。ソフトの内容は、パラメータを与えて測定データを取得し、記録するという単純なものではあるが、それを自動的に実行するという点に惹かれた。ここで、データファイルのつくりかたやコンピュータへの入力のしかたなど、見よう見まねで覚えたものであった。

 

次に、その二年後くらいだろうか。米国コモドール社製の8ビットの「PET」といわれるものが導入された。これは、表示が40文字×25行くらいの白黒のブラウン管ディスプレイで、BASICという言語でプログラムを自作し、XYプロッタなどの機器の制御やデータ収集に使用していた。記録装置として使っていた5インチのフロッピーディスクドライブはよく読み込みエラーを起こし、プログラム自体もたまに暴走するという信頼性に欠けるものであった。

 

その後、日本のN社がPC8001というマイコン(バソコンとも呼んでいたが)を市場に売り出しした。これは、当時、国産品としてかなり普及したらしい。信頼性は格段に向上したが、価格は一式で80万円くらいした。もちろん、まだまだとても個人で買えるものではなかった。この頃は、酸化亜鉛を用いた半導体の開発に携わっていた時期になる。ようやく、表示が80文字×25行で、カラーのブラウン管がディスプレイとして使えた。このときは、長時間の測定データを収集するために使用していた。

 

1980年代前半はまだ8ビットマイコンが残っていたが、16ビットが主流の時代になった。5インチや3.5インチのフロッピーディスクが使えるようになった。しかし、現在のように市販されているパッケージソフトウェアはまだなくて、職場では、まだ、BASIC言語でプログラミングをしていた。だが、メーカー各社の仕様が統一されていなくて困ったものである。

 

仕様統一のきっかけとなったのが、MSXの登場であった。MSXは1983年ごろ登場し、価格が安く4万円から6万円くらいで本体が買えて、家庭のテレビに簡単に接続でき、BASIC言語でプログラムを自作できるほかに、ソフトメーカーからもMSX仕様のソフトウェアが売り出された。ここにきて、ようやく個人でコンピュータが持てる時代になったのであった。

 

当時、私は、職場では16ビットのコンピュータで、家では8ビットのMSXで、同じフロッピーディスクを持ち運びして仕事を処理していたことを覚えている。たしか、開発品のレポートや報告書などを書いていたようにおもう。自宅でMSXを使い、趣味でいわゆるパソコン通信なるものをはじめたのも、この頃のことであった。

 

その後、1995年を境に32ビットの時代になり、OS(オペレーティングシステム)もWindows (ウィンドウズ) 3.1、95、98、2000と変化していった。記録装置もハードディスクというものが使えるようになり、データの量も増えていった。扱うソフトウェアも、測定、データ処理、CAD、プレゼンテーションと、多岐にわたっている。また、電子メールも使いやすくなり、いまでは、コンピュータは私にとって道具となっている。

 

いままで、個人で購入し、自宅で使用したコンピュータを数えてみると、MSX(8ビット)、MSX2(8ビット)、Dynabook(16ビット)、Libretto(32ビット)、ThinkPad(32ビット)と、また使った言語も、初期のBASICから、FORTRAN、C、VisualBasicなど、様々であり、それぞれに歴史と想い出がある。

 

いま、私の職場では、64ビットのコンピュータが使用されはじめている。Windows 7 (ウィンドウズセブン) というもので、使い慣れた32ビットのものと少し使い勝手が異なるのだが、これもそのうち慣れていくに違いないとおもっている。

 

(2012-04-01)

 

 

正確にいうと、MS-DOS、DOS/V、MSX-DOS、MSX-DOS2 といった異なるOperation System が、共通のメディア(フロッピーデイスク)上で、同じファイルフォーマット(形式)で取り扱えるようになったことが、普及のひとつの側面としてあげられるのではないだろうか。それにしてもMSXは懐かしい。

 

(2012-06-30追記)

 

  • 体験
ソフトウェアツールの値段

この話は、30年ほど前のことである。当時、プロッタで作図をしようと、プロッタ本体とコンピュータ本体につなぐインターフェースを作った経験があったな、などと、考えていたら、ソフトウェアの値段について想い出したことがあったので、書いてみようとおもう。

 

なぜかというと、当時、8ビットのコモドール社のPETというコンピュータが、ある測定を行うために職場に導入された。

 

もちろん、表示は白黒のディスプレイで、文字も一行40字で25行程度の表示能力しかなかった。グラフなどは、手描きか、プロッタを用意して、描かせるのが一般的だった。

プロッタでグラフを描くと、見栄えがいいので、簡単なプログラムをコーディングしては、動作確認し、使っていた。

 

コーディングは、例えば、次のような手順で行う。

 

1. OPEN 2,5 --- プロッタのインターフェースの初期化

2. PRINT#2,"I" --- プロッタ本体の初期化

3. PRINT#2,"M0,0" --- プロッタ原点の指定

4. PRINT#2,"I100,100" --- プロッタのペンを原点から相対位置座標の(100,100)に移動

5. PRINT#2,"P1" --- プロッタのペンを下ろす

6. PRINT#2,"I200,200" --- プロッタを(300,300)まで移動させる(線を引く)

7. PRINT#2,"P0" --- プロッタのペンを上げる

8. PRINT#2,"M0,0" --- プロッタのペンを原点に戻す

9. CLOSE 2 --- プロッタのインターフェースを閉じる

 

上記のように、当時、たいていのプロッタの作図ツールはこんな感じで、簡単なプログラムは、ほとんどすべて自作していた。したがって、たいして時間もかかっていない。もし、仮に作成費用を計算したところで、せいぜい1〜2万円程度だろうとおもわれた。

 

ところが、あるとき、これらのコーディングを行うのは、時間と手間がかかるので、外注に出したらどうか、という話が上司から出た。

 

さっそく、仕様をある程度、外注さんと打ち合わせた後に、見積りをいただいて驚いた。その当時のパッケージソフトと呼ばれたものは、1〜2万円、高くても数万円だった。だから、どんなに高くても十万円を超えないだろうと考えていた。

 

だが、その見積りには、なんと、百万円を超える金額が並んでいたのだ。

 

唖然とした。単純なツールなのに、なぜそんなに高いのか、わけがわからなかったのだ。しかし、とにかく、発注することとなった。

 

1か月ほど待った後に、そのツールは完成した。しかし、コンピュータへのインストールと動作確認に3日もかかり、コーディング自体が分量が多い、サイズが大きいために、当時のひ弱なコンピュータのメモリには、耐えがたいものだった。

 

結局、外注したものはあまり使われず(?)に、(少なくとも自分自身は、ほとんど使わずに、) 自作のツールを使っていたという記憶がある。

 

自分たちは、グラフ作図の意味とプロッタの動作がわかっているので、必要最小限のコーディングでソフトウェアツールを完成させた。

 

これに対して、外注さんは、ある程度、最初に仕様は決めているものの、基本に忠実に、コーディングしようとした、つまり、ある程度、自由度を持たせて、どんな変更要求にも耐えうるようにしたのだと、推察された。(そのため、コードが肥大化した。)

 

また、1か月の人件費と作業費も加算されて、莫大な金額になったのだとおもわれた。

 

ソフトの値段は、おそらくほとんど人件費なのであろう。

 

昔は、コンピュータスペシャリストという職種が、一部の企業にあったときいている。簡単な実験データや測定データを作図するのに、プロッタできちんと描画したほうが、きれいだし、見栄えも良いなど、説明資料としても、メリットはある。だが、さすがに、百万円を超えるソフトでも、自作のソフトでもたいして描画は変わらない、という状況では、困ってしまう。

 

この話は、まだ、ディスプレイのスクリーンコピーができない時代の話なので、今どきの事情はまた、異なるのかもしれない。

 

現代は、32-64ビットのコンピュータの時代であり、さすがに、自作ツールを扱う人は少ないとおもわれるが、外注化はやはり同じような構図だとおもわれる。

 

ソフトウェアの外注化がいかに高価だったかという、自分自身が経験した昔のエピソードのひとつである。

 

(2012-4-30)

 

  • 特集
東日本大震災から1年めの3月11日

あれから1年がたちました。長いような、しかし、あっという間の1年でした。

 

あの巨大な地震、そして、津波、さらに、原発事故の映像は、いまだに鮮明に脳裏に焼き付いています。

 

当初の「東北地方太平洋沖地震」から、いつのまにか「東日本大震災」と呼ばれるようになった震災です。

 

犠牲者のみなさまのことをおもうと本当に胸がいたみます。そして、いまもなお、苦しんでおられる被災者の方々、この震災でたいせつな親族、友人、知人を失った方々のことを考えると、なおいっそう胸が゛いたみます。

 

あの震災から1年、なかなか気の利いたことばで気持ちを表現するのは難しいですが、いまは、早い時期の復興を願いながら、自分たちにできることを、少しずつ、精一杯、やっていこうとあらためておもいました。

 

そこで、きょうは、ひとつの動画をご紹介いたします。

 

私の購読している北野幸伯さんのメールマガジン(*)に紹介されていたものです。

(*)→ http://archives.mag2.com/0000012950/

「まだまだ先は長いけれど、少しずつ進んでいきます。」という強いメッセージを感じていただければ幸いです。

↓↓↓

http://www.youtube.com/watch_popup?v=SS-sWdAQsYg&vq=medium

 

(2012-3-11)

 

 

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  • 特集
釈由美子と「夜トマトダイエット」

おもしろい記事を見つけた。夜にトマトを食べるとダイエットできるというものである。もしかすると、なにかのヒントになるかもしれない。

 

よくいわれていることだが、運動量の少ない夜の食事が一番太りやすいとのこと。夜に食事を多く摂取しすぎてしまうと、カロリーを多く吸収してしまう。だが、トマトには、カロリーの吸収を抑える働きがあるそうだ。しかもその効果は寝ている間が一番活発になるそうだ。

 

以下、調べた結果である。

 

トマトは、リコビンや食物繊維が豊富な栄養満点の食材だそうだ。とりわけ、赤い色の成分であるリコピンはも強い抗酸化作用があり、動脈硬化を予防する働きがあるとのこと。

 

また、代謝を促すビタミン、ミネラルが豊富に含まれていて、しかも、コラーゲンの生成を促すビタミンCをも多く含むので、美肌効果も期待できるそうだ。

 

栄養価の高い健康野菜の代表格のトマトである。

 

トマトのリコピンには、カロリーの吸収を抑える効果があるそうだ。なので、夕食後に摂取するのが、効果的だとのこと。目安としては、トマトが大の大きさなら2個、トマトジュースなら350ccを2〜3本だそうだ。ただ、トマトだけを食べていれば良いというものでもなさそうだ。他の食材と組み合わせたバランスの良い食事がだいじらしい。

 

そうは言っても、毎日続けるのはなかなか難しいものである。トマトの栄養価、ダイエット効果をしっかり摂り入れるには、やはり、サプリメントがいいかもしれない。

 

(2012-2-5)

 

あの、女優の釈由美子(しゃくゆみこ)さんが、実践している「一日1回飲むだけ」のダイエットをブログで紹介しているが、この「夜トマトダイエット」サプリだそうだ。

 

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